好きなことの話

好きなことの話をします

中国茶のこと

 仕事中、中国茶を飲んでいる。以前中国茶体験教室に行った時に貰った茶葉の存在を思い出したのだ。

 体験教室では美しく素敵な器で作法通りに飲む方法を教わったが、先生が「揃わないうちはなんでもいいんです。マグカップに茶葉を入れてお湯を注いで茶葉を除けながら飲んで、そのまま何回か飲めばいいんですよ」ともおっしゃったので、そのようにしている。

 細めのマグカップに茶葉をそのままざくざく入れる。ラベルには「特級白牡丹」と書いてある。白茶という種類らしい。熱いお湯を注いで、適当に蓋をする。私は適当すぎるので眼鏡拭きをかけたりする。茶葉が浮いているのでふうふう息を吹きかけて向こう岸に寄せて飲む。たまに茶葉が口に入るが特に気にならない。

 本当は蓋碗と呼ばれる蓋のついたお茶碗があって、蓋とお碗の間で茶葉を漉し取るようにしながら飲むのだという。素敵な蓋碗が欲しいなあ、と思っているのだが、なかなかいいものに巡り合えずにいる。いいな、と思うと2万円くらいしたりする。終息したら中華街に探しに行きたい。

 減ってきたらそのままお湯を注ぐ。そう、お湯を注ぎっぱなしでも渋くならず、何回も淹れられるのが中国茶の特徴なのだそうだ。だから仕事中にだらだら飲むのに向いている。

 二煎目以降は大部分の茶葉が沈むので飲みやすい。半分ほど飲むころには仕事に集中し始めていて、二時間後にふと思い出して口をつけると冷たい。上からお湯を足して三煎目。どうにかこうにか仕事を片付け、報告メールを送信して飲み干し、口に入った茶葉を捨てる。山ほど開いたエクセルを全部閉じる。

 三煎を経て、くるっと丸まっていた茶葉はみずみずしく戻り、「茶殻」というより「葉っぱ」という感じになっている。葉の縁のぎざぎざのひとつひとつまでぴちぴちだ。

 体験教室では茶葉の選び方も教えてくれて、香りや見た目だけでなく茶殻も大事とのこと。「たとえば中国に行って茶葉を買いましょうというとき、お茶殻を見せてくださいと言ってみてください。茶殻を見ると良し悪しがわかります。良し悪しの見分け方はここでは説明しきれないんですけど、茶殻を見せるのを渋るようなお店はよくありません」と言っていた。しかし観光に行った先でそんなはったりがかませるだろうか?無理だな。「ちゃ……茶殻?を?見せてもらえます……かね?」みたいに挙動不審になって素人だとバレ、海千山千の茶葉商人に騙されて味のしないお茶を売り付けられるのを想像しながらPCの電源を切って退勤。明日も飲む。

あさちゃんのこと

少しまえまでインターネットでは六花と書いてリッカと名乗っていて、そのころ知り合った友人達は私のことをりっちゃんと呼ぶ。

「りっちゃん」

「はあい」

「りっちゃんはね、りつこって言うんだほんとはね」

「違いますが……」

「だけどちっちゃいから自分のことりっちゃんて呼ぶんだよ」

「呼びませんが……」

「りっちゃん」

「なあに」

「りっちゃあああん」

「りっちゃんだよー」

あさちゃんとは道を歩いている間ずっとこうしてじゃれあっている。ほんとうにずっとこうなので、もう押したら「りっちゃんだよー」と鳴くボタンを持たせておけばいいような気もする。こんな感じで大学生のときからずっとべたべたしているのに、あさちゃんはもう人妻なのだなあ、などと思う。

彼女が結婚してから半年ほどになる。婚活を始めて数ヶ月はこんな男がいたあんな男がいたと面白おかしく聞かせてくれたのだが、それがある時ぴたりと止まったと思ったら婚約していた。そして令和元年5月1日に結婚した。惚れ惚れするような手腕だった。

結婚式の日、「子供が生まれたら私と遊んでくれなくなるんだわ」と別の友人にこぼしたら、「馬鹿野郎、こっちから遊びに誘うんだよ、家に遊びに行ったり子供連れで入れるお店をリサーチしたりするんだよ!」と叱られた。経験者の言葉は含蓄がある。

子供をどうするかは知らないが、私とあさちゃんは結構違う人生を歩んでいるから、ある日突然離れ離れになってもおかしくない。あさちゃん、夫の海外赴任についていきたいらしいし。

でも海外赴任の話になった時、「私のことを置いていくのね」と言ってみたら、「何言ってるの?りっちゃんは遊びにくるんだよ?」と当然のように言うので笑ってしまった。台湾旅行も躊躇う人間がアメリカまで遊びに来ると信じられる、私の好意を当然のものとして受け入れられる、そのあかるい傲慢さがまぶしくてかわいい。

りっちゃんはね、浅川って言うんだほんとはね。いまはもうリッカとも名乗ってないし、だけどきみのことがかわいいからこの呼び名が気に入っている。時々おばあちゃんになってもりっちゃんって呼ばれる想像をするよ。中途半端にボケた老人にって、浅川睦美さんがいったいどうしてりっちゃんなのか、若い人たちを困惑させようね。

写真の話

恋人と五色沼に行く。恋人は最近、誰がとっても同じになるような風景写真は撮らないことにしてる、と言って、どんな綺麗な緑の沼にもカメラを向けない。その代わりに私の写真を撮るのだった。

私は写真がとても苦手で、たいてい緊張して仏頂面になってしまう。集合写真なんかでは頑張って笑顔を作るのだけど、2秒くらいしか持たないので、「いきますよーーはーーい……もうちょっとこっち……はい大丈夫です、いきまーす、はーい……ちー……ず」の間に消えてしまう。高校生くらいまではカメラを向けられるたびに逃げ回っていたが、最近は観念して固い笑顔か半端に開いた唇で写っている。どんなに固くても笑顔らしきもので写れるようになっただけ、だいぶ進歩した。

写真が苦手なことをもちろん恋人は知っていて、最近はちょっと平気になってきたので本気では怒らないことも知っていて、だから不意打ちで私を撮る。青沼ってほんとに青いねーと言いながら振り返るとパシャ、携帯から顔を上げるとパシャ、熊鈴ほんとに意味あるんかねと言うとパシャである。

消してよとiPhoneを覗き込むと、ポートレートモードで撮った写真は意外にもそれらしく、かちこちの笑顔でないぶん普段の写真より数段写りがいい。いいね、愛情だね、遺影にしよう、と思って送ってもらった。

ポートレートモードは被写体以外をがっつりぼかすので、背景の美しい沼はエメラルドグリーンの凝りになって説明されてもよくわからない。でも日付を見れば、あるいは見なくても、私と恋人にはそこが五色沼であることがわかるし、遊覧船に乗ったことや、カヌーに乗るかどうかで揉めたこと、宿の朝食に出たルバーブのジャムも思い出せる。恋人が景色の写真を撮らないのは、たぶんそういうことだと思う。

それはそれとして私は沼が姿をあらわすたびに写真を撮りまくってラインのアルバムに貼ったしInstagramにも載せた。恋人の写真は3枚しかないが、まあ、いいでしょう。

写真は遊覧船で偉そうにしている私です。これが唯一の笑顔の写真。

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【SS】体を拭く

 愛良が酔って帰ってきた。

 玄関が開いた音がしたのにそのあと足音が続かないので見に行ってみると、愛良は靴を履いたまましゃがみ込んでいた。おい、と肩をゆすると、なんとなく湿っている。外は霧雨だ。

「酔っぱらってるの? 吐きそう?」

「……大丈夫。眠い」

「シャワー浴びてきな。焼き肉のにおいすごいよ」

 手を引いてやろうかと思ったが、愛良は思いの外すぐに立ち上がり、パンプスのストラップをはずした。転んだのか、足首に泥がついている。

「途中で寝るなよ」

「へーき」

 愛良が洗面所に消えるのを見送り、シャワーの音が聞こえてくるのを確かめてから自分の部屋に戻る。たいてい酔いをさましてから帰ってくるのに、どうしたのだろう。

 漫画を読んでいると、五分も経たずに廊下につながるドアが開いた。ノックしろよ、と文句を言おうと振り返ると、愛良は裸だった。肩にバスタオルはかけているが、髪も体も明らかに拭いていない。ぎょっとして「ちょっと……」と声をかけたが、愛良はフローリングを濡らしながら歩いてきて、そのまま私のベッドに転がった。

「ちょっと!」

 愛良は枕に額をうずめて答えない。バスタオルの肩をゆすると、愛良は長い髪の間からこちらを見て、「酔っぱらっちゃったあ」とくすくす笑った。髪は洗っていないのだろう、まだ煙のにおいがする。

「……し、知ってる」

「うふふ」

「うふふじゃないよ。濡れる。拭きなさい」

 愛良は再び枕に顔を戻して、くぐもった声で「なーんにもしたくない!」と叫んだ。あっけにとられる私を置いて、そのまま寝息を立て始める。白いふくらはぎからまだお湯がしたたっていた。

「いや起きて。困るから。ねえ」

 肩を揺すっても頭を小突いても、愛良は起きようとしない。せめて自分の部屋で寝てくれ、と説得に入ってみたが、寝息は徐々に穏やかになり、本当に寝入ってしまったのが分かった。

 私はしばらくぼんやりとその背中を見ていたが、やがてそのバスタオルを取った。白いなめらかな背中があらわになる。すこしためらったあと、背中から腕へ、腰から脚へタオルを滑らせる。愛良はされるがままに穏やかな呼吸を続けていた。後ろ半身の水滴をあらかた取って、肩と腰に手をかけてひっくり返そうとする。細い体なのに思ったより難しく、おそるおそる掴んでいた手に力を込めて、ほとんど体当たりするように無理やり仰向けにさせた。きれいな形に整えられた眉がひそめられ、枕の影に顔を隠そうとする。

 少年のような細い手足だ。白く、傷ひとつなく、まっすぐに長い。私は内心で自分の裸と比べた。弛みなくたいらな腹、小さなとがった乳房を見ていると、同じ人間とは思われない。私の不格好に大きい乳房をちぎってつけてやりたいくらいだ。

 自分と同じ一揃いの内臓が入っているとは信じられないくらい薄い胴を拭きながら、私は愛良の服のことを考えた。

 愛良はつねにスカートを履いている。丈はさまざまだが、たいていストッキングもタイツも履かない。履くときもあるが、多分八十デニール以下だろう、肌の色を必ず透けさせる。服の色は白かパステルカラー、多分茶色や紺色の服は一枚も持っていない。ジーンズも持っていないと思う。

 こんなきれいな手足を持っていたら、と私は思わずため息をついた。私なら細いジーンズを履く。たっぷりしたニットから細い手首をのぞかせる。とろみのある白いシャツを着て、長い首を見せるのもいい。タイトなTシャツを着るだけでもさまになるだろう。男の子みたいな大きいジャケットもきっと似合う。それなのに、愛良が着るのはいつも、大学で石を投げれば当たるような、無難で善良でかわいらしい服だけだ。

 裸の愛良は、いつものそんな姿とまるで違って見えた。肉のつかない手足が美しい、別の生き物のようだ。それもこの世にいない生き物、たとえば新種の蜘蛛のような。

 最後に首のあたりをぬぐってやると、愛良は薄く目を開けた。

「起きて、自分の部屋で寝て」

「やだ」

「……じゃあ化粧落としなよ。明日肌荒れで騒ぐよ」

「いいの、もう」

 マスカラを塗ったままの目を閉じて、愛良は深呼吸するように呟いた。

「なんにもしないの。早紀ちゃんと同じにするの。もう肌のこと考えたり、ダイエットしたりしないの。決めたの」

 その声が思いの外さみしそうだったので、私はその顔を見つめた。眉のきれいなカーブ。そういえばこの子の、眉毛のないところを見たことがない。

「メイクも落とさないし、化粧水も塗らないの」

「……化粧水くらい塗るよ」

「サボってるくせに」

 時計を見ると午前一時を回ったところだった。愛良は体を半回転させながら器用に布団にくるまり、私に背を向けた。

「だから寝ないで。自分の部屋で寝て」

「人のベッドってどうしてこんなに気持ちいいのかなあ。人の寝床を奪ってる罪悪感がこう、スパイスになるのかなあ」

「おまえの性格が悪いからだよ!」

 愛良はのびのびとその細い手足を伸ばしてから、布団にくるまったまま壁際に移動した。スペースを空けてやった、という態度だ。私は電気を消し、愛良を力一杯引っ張って逆側の端に移動させてから、空いたところに寝転がった。足元に寄せてあった毛布にくるまって、「おやすみ」と声をかける。返事がないので、さらにぶつかってベッドから蹴落としてやった。悲鳴ひとつ上げずに、またベッドによじ登ってくる。

「あのさ」

「なに?」

 愛良の声は蹴落とされたばかりとは思えないくらい眠たそうだ。ちゃんと聞こえていないかもしれないな、と思いながら、私は「化粧するのやめるなら、私の服貸してあげるよ」と囁いた。しばらく返事はなかった。私が狭いスペースに慣れてうとうとしはじめた頃に、愛良の手が伸びてきて私の頭をくしゃっと撫でて、そのあとずっと、その手は私のそばにあった。

 翌朝目がさめると、愛良はいなかった。洗面所を除くと、背中を丸めて鏡を見ている。「おはよ」と声をかけると、愛良は真顔でくるりと振り返った。その顔が真っ白だったので「うわ」と思わず声を上げる。シートマスクを貼った顔は、苦虫を噛んだような、という形容がぴったりくる表情だった。

「肌荒れが」

「はい?」

「肌荒れがすごい。化粧落とさなかったから」

 そうだろうよ。私が呆れて見ていると、愛良は不機嫌そうに大きな足音を立てながら洗面所を出て、自分の部屋に入っていった。ドアがばたんと閉まる。

「……やめるんじゃなかったのか」

 思わず呟いたが、まあ、そんな気はしていた。結局この子の眉毛のない顔は見られてないな、と思いながら、私は掛け布団のカバーを外して、すこしにおいをかいでみた。生乾きになったかもしれないと思ったが、乾いた布の粉っぽさのほか、何のにおいもしなかった。



おふとんで寝る。うつくしい蜘蛛。

https://shindanmaker.com/509717

ばけむこを読んでくださいという話

「ばけむこ」という漫画がある。

‪ばけむこ - 枝屋初 https://comic.pixiv.net/works/3755 #pixivコミック‬

 神隠しに遭った高校生・赤手葬太郎は、雨の止まない座敷で不思議な美女に迎えられる。美女の名は銀書姫、その正体は大なめくじ。人間の婿を迎えるために葬太郎をさらってきたのだという。しかし、葬太郎は訳あって男装して過ごす女性だった。婿入りを断りかける葬太郎に、銀書姫は「我が男になればいいだけだ」と性別を変えてみせる。雌雄同体、どちらにもなれる銀書姫/書銀と、自分が男なのか女なのか分からない葬太郎、二人の奇妙な結婚生活が始まる……というのがあらすじ。

 性というのは人間が太古の昔から扱い続けたテーマなので、無性、中性、性別転換、選択制と、さまざまなパターンの性を持つキャラクターの恋愛が物語られてきたと思うが、これもなかなか複雑なパターンなのではないかと思う。

 とにかくその性別の扱い方が絶妙に良い。オタク的な物言いをすれば、男女CPとしても男男CPとしても女女CPととらえてもOK、あまりにも自由。書葬、葬銀、銀葬、葬銀、どれでもOK、カプ厨には夢のようだ。

 冗談はともかく、二人は男とも女ともつかず、ときどきに立ち位置を婿/妻と変えながら、徐々に好意を深めていく。しかしそれは決して、性別なんてどうだっていい、と言っているわけではない。男神である書銀と女神である銀書姫は同一人物でありながら微妙に性格が違うし、葬太郎は女が短命な家系に生まれて赤い夢を見続け、女にさえ生まれなければとも思っている。

 私はいつも思っているのだけれど、男女なんて関係ないよね、と、本当は言いたい。「女の子だからこうなんだね」なんて言われたら怒ってしまう。愛にも、人生にも、男女なんてほんとうは関係ない。でも、性別に意味がないわけでは絶対ない。女に生まれなければ、男に生まれていたら、今私はこういう性格になっていただろうか? この姿でなかったら、全く違う人生を歩んでいたのでは?

 余談だが、私は二次創作における性別転換が苦手である。たとえまったく同じ性格でも、周りからの扱われ方や体の作りというのはやっぱり人格に影響を与えるのだから、男女が違ったらそれはその人ではないのでは、と思うからだ。女の子だからこうなんじゃなくて、女の子として生きてきた結果こうなった、ということで、その間にはやっぱり深い溝がある。

 葬太郎と書銀は、性別という呪いに抗い、"普通"でない姿を許し合いながら愛を深めていく。その結実点のひとつである二人の床入りのシーンは必見。なめくじと人間がどうやって……と思いましたか? 直接的な描写はほとんどないのだが、私は普通に赤面してしまった。二人のつながり、二人の身体を許していくということの美しさとエロチシズムが存分に表現されている。

 付け加えて、デッサンはあまり上手くないが、絵、コマ割り、構図が素晴らしい。植物や文様がコマごとにちりばめられ、凝った構図のページが続く。特に2話の間取り図がコマになって進んでいくシーンがすばらしいので、そこまでは読んでみてほしい。2話までは無料です。構図にこだわりのある漫画が好きな人はきっと気に入ると思う。

 いまなら単行本2巻が出たばかりですぐ追いつける!1話・2話・最新話はpixivコミックで無料で読める!Kindle版もある!よろしくお願いします!

ばけむこ 2 (BLADE COMICS pixiv)

ばけむこ 2 (BLADE COMICS pixiv)

ばけむこ 1 (BLADE COMICS pixiv)

ばけむこ 1 (BLADE COMICS pixiv)

【SS】オセロ

「あっ」とまりちゃんが声をあげた。構わずにぱたぱたとオセロの駒をひっくり返していく。今置いた右下の角から左上の角へ、右下の角から右上の角へ。呆然と見守るまりちゃんに、私は片頬で笑って「まりちゃん弱すぎ」と言った。まりちゃんは「だって、さっきまで勝ってたのに……」と納得いかない様子で白くなった盤面を見つめている。どうしてこんなあからさまな局面に気づかずにいられるのか不思議なくらいだ。昼休みはもうじき終わる。

六年二組ではどういうわけかオセロが流行っていた。たぶん、カードゲームを禁止された男子の誰かが持ち込んだのだろう。隣の席でも、ノートにマス目を書いた手作りのオセロ盤で熱戦が繰り広げられている。私も試したけれど、やっぱりマグネットが盤にぱたんと張り付く手触りがいいのであって、吹けば飛ぶような手作りの駒ではつまらない。

まりちゃんと一応最後まで駒を並べて、数えるまでもなく勝利を宣言すると、ちょうどチャイムが鳴った。駒を置いたままの盤を紙袋にほうりこみ、ロッカーの上に乗せる。まりちゃんは、ありがと、と言って前の方の席に戻っていった。

みんなが席について、先生が入ってくるまでの間、私はいつも高梨さんを見ている。

高梨さんは一番前の一番窓際に座っている。小柄で、眼鏡をかけていて、いつも一番前の席だ。だからクラスで一番背が高い私と席が近くなったことは一度もない。というか、話したこともない。高級なお菓子みたいに華奢で色が白くて髪がまっすぐで、私とは正反対だ。

でも、なにかのきっかけで、彼女と親友になるような気がしている。クラス替えで初めて姿を見たときから、その予感が私を満たしていた。たとえば彼女が誘拐されそうになるところを助けるとか……彼女の秘密基地を偶然知ってしまうとか、そういう運命のような出会いがあって、二人は意気投合するのだ。親友の誓いを果たしたあと、春奈と陽菜、同じ名前であることに気づいた彼女は、名前の通りお日様のように笑うだろう。

しかし、そういう機会はいまだ訪れなかった。ただたまにぼんやりと、教室の対角線上にいる彼女を見ているだけだ。

先生はなかなか来ない。鉛筆をつまんで振り、ぐにぐに曲がって見える様を楽しみながら、オセロだな、と想像してみる。はるなとはるなに挟まれて、間の男子や女子がみんなはるなになるのだ。名前以外でもいい、なにか高梨さんと私との間にある秘密の共通点が、教室の端と端で響きあう。しかし、秘密の共通点ってなんだろう?

高梨さんはぼんやりと窓の外を見ながら、ペンをもてあそんでいる。赤ペンだ。器用にくるくる回したり、キャップを開けたり閉めたり、私がちょうどしているように、つまんで振って曲げたりしている。高梨さんも同じ暇つぶしをするんだな、と思っていると、同じ動きが目に入った。高梨さんの斜め後ろに座っている男子、関口が、やはり鉛筆をつまんで振っている。ぐにぐに曲がる。関口も高梨さんを見ていたのかもしれない。やっているのを見たらやりたくなったのだろう。

私はさっきのまりちゃんのように、あっ、と声をあげそうになった。関口の斜め後ろの七瀬ちゃんもやっている。七瀬ちゃんの斜め後ろの高橋も、その斜め後ろのみーやんも、そして、私の斜め前の川西も。

オセロだ。教室の対角線を、ぐにぐにの鉛筆が貫いている。

高梨さんが指を止めてペンを置くと、その線も途切れた。それとほとんど同時に先生が駆け足で教室に入ってくる。遅れた言い訳を明るい声で話しているようだが、私の耳には入らなかった。

高梨さんと私の秘密の共通点って……ペン曲げ?そんなことってあるか?

軽い失望と笑いが同時に湧き上がってくる。このあと誘拐未遂や秘密基地の発見があったとしても、これじゃあ格好がつかないじゃないか。私は鉛筆を持ったままの右手で笑いを隠しながら、でもいつか彼女と親友になったとき、この話をしてあげよう、と思う。

【SS】ネギ塩豚カルビ弁当(麦飯)

今度という今度は、さすがの愛良も悪いと思ったのだった。

クッションに突っ伏して亀のようにうずくまる早紀の横に正座して、「ほんとに、すみませんでした……」と神妙な顔で囁くが、早紀は答えない。赤いカバーの枕を背中にのせてやって「早紀ちゃん、おすし」とふざけてみようかと思ったが、謝っている最中なのでやめておいた。「なんでも埋め合わせするからさあ……」と言うそばから、声が甘えた感じに詰まってしまう。愛良は謝るのが下手だった。

畳んだ足がもう痛い、崩したい、と思ってそわそわしていると、早紀が突然「ネギ塩豚カルビ弁当」と言った。

「ネギ?」

「ネギ塩豚カルビ弁当。買ってきて」

「えーと、スーパー?」はとっくに閉まっている。時計を見ないでもわかる、日付もとっくに変わっているのだから。

「ちがう、セブン。セブンイレブンのネギ塩豚カルビ弁当。麦飯のやつ。あれ食べたい。買ってきてくれたら許す」

相変わらずシャリのごとく丸まっているにもかかわらず、早紀の声は力強かった。愛良は「ははー、わかりました」と小さい声でつぶやき、ひざをゆっくり伸ばしながら立ち上がった。ふくらはぎがちょっと張っている。

0時過ぎのセブンイレブンにネギ塩豚カルビ弁当はなかった。ひとつだけ取り残されたカツ丼を前に腕組みする。カツ丼ではないのだろう。しかしセブンまでは行ったのだということを証明するために、とりあえずこれを買って帰るのはどうか。しばらくその線を検討したが、いやいや、と大げさに首を振った。真剣に謝るのが久しぶりすぎて、ごまかす方向にしか頭が働かない。誠意を見せなければいけないのだ、誠意を。

徒歩圏内にセブンイレブンはもう一軒あるが、そちらに行っても状況は同じだろう。ならば、と愛良は道路を渡り、ローソン100に入った。予想通り、豚小間切れのパックが半額のシールを付けて待っている。

カルビではないが、正直言って、愛良はカルビも豚コマも区別がつかないのだ。肉だなあ、としか思わない。冷蔵庫にまだネギがありますように、と思いながら塩味の焼肉のたれもカゴにいれる。愛良が料理らしい料理をするのは、数えてみれば半年ぶりだった。

帰ってみるとネギはあった。そういえばおとといは寄せ鍋だった。早紀がすべての具材を切り、早紀がすべての味付けをして、愛良は箸と取り皿を運んだ。

包丁の位置はかろうじてわかったが、まな板の場所がわからない。探し回ったあげく、水切りかごの中に大皿と並んでいるのを見つけた。その過程で、冷蔵庫の中に買ってきたものとまったく同じ焼肉のたれが入っているのも見つけた。

ネギを刻んで、肉を焼いて、冷凍してあったご飯を温める。ネギを買ってきたのも、このフライパンを洗ったのも、ご飯を冷凍したのも、全部早紀だ。悪いなあ、という気持ちに、しばらく従ってうなだれてみる。悪いなあ、すまないなあ、ありがたいなあ。と思いながら胸に手を当てていると、早紀が「なにしてんの」と低い声で話しかけてきた。

平皿にご飯を平らに盛り付け、肉とネギを乗せてたれをかける。味見はしていないが、ほかほか湯気を立てる様はなかなかおいしそうだ。「ネギ塩豚……弁当です」と早紀に差し出すと、しばらく皿を見つめたあと、思い切り顔をしかめた。

「ネギ塩?」

「ネギ塩豚……弁当」

「豚カルビ?」

「豚……」

小さい声で「こま……」と付け足して、口の中でごまかす。早紀は皿を受け取ってリビングへ向かった。愛良がそれに続こうとすると、「箸」と冷たい声を出す。

早紀が食べ終わるまでの間、愛良は向かいでじっと見つめていた。早紀は箸の使い方が上手だ。平皿に乗った米粒は食べづらそうだったが、きちんと寄せて取りこぼさない。油で唇がてらてら光り始めたが、それは気にしていないようだ。早紀は無言のまま食べ終わり、やや気まずそうに「ごちそうさま」と言った。

「カルビでは、ないんだけど」

「そうね」

「弁当でもないし」

「うん」

「私なりの謝罪です」

「はい」

「ごめんなさい。許して」

頭を下げると、下げ切らないうちに「許さない」という声が帰ってくる。愛良は涙目で「なんで……」と訴えたが、早紀は空になった皿と箸を愛良の手に押し付け、真剣な顔で見つめ返した。

「麦飯じゃなかったから」

「麦飯?」

「ネギ塩豚カルビ弁当の正式名称は『ネギ塩豚カルビ弁当(麦飯)』なの。麦飯が大事なの。麦飯が食べたかったの」

「カルビは許すのに!?」

「カルビよりも麦飯が大事。わかったらそれ洗って拭いてしまって。フライパンとまな板もね」

「まな板ほとんど使ってない」

「それでも洗うの」

愛良は肩を落として「わかりました、もう……」とのろのろ立ち上がり、早紀を見下ろした。早紀はクッションに横たわり、「なに?」と見上げてくる。

さっきまでうつぶせに縮こまっていたのに、いまは体を伸ばしている。もうシャリではない。マグロだ。愛良はちょっと笑って、「なんでもないよ」と囁いた。