好きなことの話

好きなことの話をします

富山に行った話(でもない)

 この2023年になっても、女性が一人旅をすると言うと「失恋?」と尋ねてくる無礼者がいる。本当にいるのである。

 

 無理せずできる範囲の仕事をし、無理せずできる範囲の趣味をしている。会社員として降ってきた仕事をこなす。アニメや漫画から受け取ったものについて書く。

 すなわち、やろうと決めなくてもできることをやっている。

 

 フォスフォフィライト:できることしかできないよ

 アンタークチサイト:できることしかやらないからだ

 フォスフォフィライト:できることならせいいっぱいやるよ

 アンタークチサイト:できることしかできないままだな

市川春子宝石の国3巻より)

 

 旅行をするためには、まず、仕事を調整して休みを取らねばならない。「休みます」と言わねばならない。宿と交通手段を予約しなければならない。行きたいところについて下調べしなければならない。

 やると決めてやらなければできないこと。

 ある種の人々にとってはこれは非常に簡単な、あるいは自然な、あるいは喜ばしいことであるだろう。同時にある種の人々にとっては非常に困難な、あるいは不可能な、あるいは避けたいことであるだろう。

 私はその中間といったところだ。一人旅をする理由のひとつは、やろうと決めてやること、できることとできないことの間をやることの練習。そう言っても、女性一人旅失恋、とまっすぐ口に出すような人は半笑いで聞くばかりだろうけれども。

 

 黒部峡谷トロッコ列車に乗った。窓がない車両で、かなり揺れるので、何かの弾みでぽんと投げ出されそうで怖かった。途中で同じ車両の人がみな降りてしまったので、轟音の中で大声で歌った。お土産屋さんの自動販売機にお札が入らなかったが職員さんが忙しそうで声をかけられなかった。

 発電所美術館に行った。井口雄介「ANEMOI」、自転車のような機構を漕ぐことで数メートルの建造物を動かすことができる作品。こういうインスタレーションはなるべく触った方がよかろうと思って、乗せてもらった。ぜえはあ言いながら休憩していると、見ていた若い二人組が近寄ってきて、私が漕いでいるところの動画をAirDropで送ってくれた。

 富山駅から路面電車に乗った。路面電車というものに初めて乗ったので非常に楽しかった。ある停留所で、家族連れ、私、おじいさんの順に降りた。狭い停留所で、前の家族連れがなぜか前進しなかったので、追い越そうと道路に降りて気がついた。停留所は道路の真ん中にある。ちょうど横断歩道に接する形になっている。横断歩道が青にならないとこの停留所から出ることはできないのだ。横断歩道が見え、かつ、家族連れが驚いたようにこちらを見るのでようやくそれに気づき、戻った。そして道路と思って何気なく降りていたのが路面電車のレールと同じ高さであること、つまり路面電車の邪魔にもなっていたことにも気がついた。恥ずかしかったが、何食わぬ顔で信号を待ち、渡った。しばらく気持ちが落ち込んだ。

 路面電車で海のそばまで行った。歩いて行くと思ったより遠くて、日差しが強くて、日陰が全然なくて、自分は一体何をやっているのか……という気持ちになる。海水浴場の敷地に入るとスニーカーは砂に取られ、長いスカートを持ち上げながら、えっちらおっちら歩いて行くと、防風林の合間から広い海が見える。鎌倉の海とは違う、まっすぐで静かな水平線と長い長い砂浜、断続的に続くテトラポッド。サンダルを持ってくればよかったなと思いながら指先を浸し、日陰に入って海を見ながら座る。誰からも何の考えからも離れて、「海を見ながら座る」というだけの状態になる。気分がよくもなく、悪くもなく、水平線と同じ高さになった。

 帰りの新幹線の時間を勘違いしていて、2時間時間が余った。Googleマップにピンを立てておいたところが残り二箇所あり、どちらかしか取れそうになかったので、サイコロを振って(Googleに振ってもらって)カフェの方に行くことにした。その日の朝行ったばかりの公園の横な上、さっき乗ってきた路面電車で途中下車すればもう少し近かったのだが、そういう不合理な徒歩が発生するのも旅行っぽいと思った。ジャスミンミルクティーがおいしくて、全身から集めたみたいなため息が出た。

 帰りの新幹線で、隣に座った女性がとても寒そうにしていた。喪服姿だったので、小さなカバンに上着が入らなかったのだろう、タオルを腕にかけて冷房の風を避けていた。少し迷ったが、「寒いですね」と声をかけ、使いますか、とトロッコ列車で羽織ったパーカーを差し出してみた。すこし雑談した。私が知らない人に自分から話しかけるのは、ほんとうにほんとうに稀なことである。これについてはそのうち別に書く。

 

 私にできることは、私にできることでしかない。ここでやったことは私にできないことではなかったので、できた。できないことをできるようにしているわけではなくて、箱の内側から壁を触ってみるように、できることの輪郭を確かめている。あるいはぶつかったことのある壁がもう取り除かれていることを確かめるように。