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眼鏡をかけた子供だった話

(2021年に書いたままメモ帳の中に埋もれていた文章が出てきたので載せる。)

 

「ディズニーの新しいやつさあ、眼鏡の女の子がヒロインで、たぶん多様性というか眼鏡のヒロインもいいじゃない的な意図だと思うんだけど、それはいい試みだなと思うんだけど、それはそれとしてわたしの中の子供時代のわたしが『絶対に嫌』って泣いてるんだよね」と言いながら本当に泣いているのに気づいてびっくりした。普通に話してるつもりだったのに。
 わたしは4歳から眼鏡をかけている。生まれつき乱視があったのだ。目が悪いことが分かるまで、「飛行機だよ」と指差しても「クリオネだよ」と指差しても「どこ?」「どれ?」と聞き返すわたしを、ちょっとぼんやりしている子なのかなあ、と母は思っていたそうだ。乱視の子供のための高価な眼鏡をかけ、それをめちゃくちゃに扱って傷だらけにし、コンタクトを拒否して育った。成長と矯正でやや視力はよくなったものの、今は両目とも0.1ないくらい。幸いなことに近視はそこまで悪くならず、家族4人の中で裸眼視力は1番いいくらいだ。相変わらずコンタクトを拒否し、2本の眼鏡を服装に応じて使い分けている。
 自分が眼鏡であることを気にしたことは一度もない、と思っていたのだが、泣いたことで色々と思い出した。
 小中学校までは揶揄われた。メガネ、ガリ勉、目が四つ、とか(しかし目が四つってどういう意味だ?)。男の子と喧嘩になって眼鏡をむしり取られたこともあるが、大抵の場合「それ5万円だよ」と言うとすぐ返してくれた。大人も「それはすごく高いからいたずらしたらだめ」みたいなことを言っていた覚えがある。今思うといたずらしちゃだめな理由は「高いから」ではないだろ。
 ずっと眼鏡なので、「外してみて」と言われて外したら爆笑が巻き起こったこともある。外した途端すーっと目が細く小さくなったのが面白かった、とのことだった。乱視の眼鏡は近視のそれとは逆で、眼鏡の向こうは大きく見えるのである。
 中学校では孤立していて、たまにカーストの高い子たちに絡まれた。
「眼鏡外してよ」
「外したけど」
「外したら急に人格変わるんでしょ、オラァってブチ切れるんでしょ」そういう漫画かなにかがあったらしい。
「変わらないよ……」
「キレてんの?」
「別に」
「『キレてないですよぉ』って言うんだよ」
「なんで?」
 芸人のネタらしいということは分かったが知らないふりをした。
「なんでも」
「怒ってないよ」
「眼鏡投げ捨ててオラァって言うんだよ」
「やだよ」
 高校に入ってふと見渡したら、裸眼率はかなり低くなっていた。小学生のころは眼鏡をかけているのは学年に数人だったが、高校ではクラスに何人もいたし、コンタクトの人も少なくなかった。気づいた時は呆然とした。
 じゃああれはなんだったんだ?
 なんでもない。理由とかはない。世界の理不尽さに理屈とかはない。

 

 誤謬が起きている。
 "世界"というものを、わたしは、一人の架空の人物のように感じている。
 かつてその人物はわたしを揶揄い、鼻で笑い、小突き回した。それと同じ口で今は、眼鏡の女の子も美しく尊重されるべき存在だと言っている。
 先に謝れよ。
 綺麗事より先に言うことがあるだろうが。お前のことだよ。謝ってから、償ってから言えよ。子供のわたしは泣いて暴れてそう言う。
 しかし世界は一人の人物ではない。ディズニーが眼鏡のヒロインを出したことは、世界が少しずつ良くなっていることのあらわれであって、手のひら返しではない。大人のわたしはそう宥めるが、宥めながらわたしも泣いている。


参考: 
HUFFPOST 眼鏡のディズニーヒロイン誕生。かつて9歳の女の子は「眼鏡キャラはオタクと呼ばれ、不公平だ」と訴えた
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_61a816b0e4b0451e5510c3c7