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好きなことの話

好きなことの話をします

小学生女子と遊んだ話

小学校低学年の女の子と触れ合う機会があった。私はご存知のとおり子供が苦手で、その主な理由は①急に死にそう②急に泣きそう③言葉が通じないといったところなのですが、小学校低学年の女の子というのは①②③のいずれにもあまり該当せず、たいへんかわいいものだった。

言葉が完全に通じる。通じるどころではない、ボードゲームの説明をしてもらった。これやろ!と私だけひっぱられたのでなにかと思ったら、私がパッケージをしげしげ見ていたゲームを取り出して「これやりたかったんでしょ!バレバレだよ!」と言われて「そ、そう〜〜やりたかったの〜〜バレてたか〜〜〜〜」と言うしかなかった。結構複雑なゲームで、しかもカードに書いてある漢字が読めてなかったらしくて、だいぶ要領を得ない説明ではあったが、ちょっとやったら私にもすぐ飲み込めた。小学校低学年ってこんなに言葉が通じるんだ……と思った。

子供時代を描く小説を読むとき、「子供がこんなこと考えてるか?」「こんな言語化できるか?こんな自我あるか?」「私が○歳のころはこんなことできなかった」などと思うことがあるのだが(私が幸せでアホな子供時代を送っただけの話かもしれない)大人になってからほとんど初めて小学生と接してみて、「なめてた!」と思った。意外と自我も言語能力もあった。

そのあとお菓子作りの話になって、バレンタインに好きな男の子にお菓子をあげたというのでいいねえーと言っていたら、「浅川ちゃんはバレンタインあげないの?まだ好きな人いないの?」と言われて、完全に心を撃ち抜かれてしまった。

言ったな!と思ったのだ。小学校低学年だと初恋はまだかみたいなのがかなりメインなトピックで、何回も好きな男の子を変える子もいればぜんぜんそういうの興味ない、男子はみんなバカ、みたいなスタンスの子もいて、「まだ好きな人いないの?」というのは、すごく自然な言葉だった。私も言ったな!それ!小学生のころ!と思ってだいぶ興奮して、「好きな人ねーいるよー!」と返してしまった。

私は小学生だったことがあるというだけで小学生のことを分かったような気がしていたけれど、それは私の頭の中の小学生でしかなくて、現実の小学生とは程遠い。私はどんどん忘れていくし、思い出せなくなっていく。そういうときにどうやって思い出すかというと、現実と触れ合うことしかないし、その現実とかつて自分が知っていた現実を混ぜ合わせて、自分の解釈を作るしかない。思い出したり、新しく知ったり、勘違いしたりしながら、自分の過去をもう一回作っていくのだ。

小学生があまりにもかわいくて、そういうことを考えた。自分のなかの小学生像がアップデートされた一日だった。