好きなことの話

好きなことの話をします

モテと非モテと生活の様式の話

母親とモテ系がどうだこうだという話をしたら親子でモテについての考えがけっこう違ったのでメモしておく。

ここでは仮に「多くの異性ないし同性に恋愛感情または好意を持たれる状態」を狭義のモテとしよう(異論は認める)。この狭義のモテと、「モテ系であること」、また狭義のモテに当てはまらないことと「非モテ系であること」は関連がない、というのが私の意見である。つまり、「モテる非モテ」や「モテないモテ」がいるということだ。

「モテ系」で画像検索してみてほしい。セミロングで茶色く染めた髪を下ろして微笑んでいる女性たちの写真がたくさん出てくることと思う。モテ系というのは、ファッションの一形態である。きちんと染めてパーマをかけた髪、瞳を大きくするコンタクト、頰の高いところに入れたチーク、暖色系のカーディガンにフレアスカート。それがモテ系だ。

モテ系ファッションというのは(狭義の)モテを目的としているのだろうか?そうとは限らない。「モテ系ファッションはじつは男ウケが悪い」という記事が定期的にバズっても、モテ系がモテ系と呼ばれ、一定の支持を集めることには変わりない。それはモテ系ファッションが「モテたいから着る服」ではないことの証左である。彼女たちが実際にモテたいか、またモテたくて/モテると思ってそのファッションを選択しているとは言えない。好きだからかもしれない、似合うから着ているのかもしれない、友達がみんなそういう服を着ているからかもしれないし、もちろんモテたいからかもしれない。なんにせよ、モテ系の目的がモテ一択ではありえないと感じる。

しかしモテ/非モテはファッションの形態というだけでは説明がつかない。モテ/非モテは、生活の様式であると思う。

非モテのことを考えてみよう。同じように「非モテ」で検索してみると、「あるあるネタ」に使われたとおぼしきイラストが大量に閲覧できる。非モテは目指すべきファッションの方向性ではないらしい。

非モテあるあるを消費している主体は誰なのだろうか?①非非モテの人が周囲の非モテと重ねて「あるある」と笑っている、②非モテの人が自分や周知の非モテと重ねて「あるある」と笑っている、の二つが考えられる。しかし非モテあるあるを作成する主体、そしてそのファンやフォロワーに注目すると、どうやら②が多いようなのである。非モテな自分を客観視して笑いに、あるいは自虐に変えるのが非モテあるあるのメジャーな使い方であるらしい。

しかし本当にモテのピラミッドの最下部にいることを自覚し恥じているのならあるあるネタの消費やあえてアピールするような自虐は不要なのではないか。非モテは簡単に笑いが取れる手段なのかもしれない。周囲に非モテ系が多いから合わせているのかもしれない。もっと極端に、モテるやつはバカという偏見があるのかもしれない。しかしなんにせよ、非モテ非モテの生活の様式があり、それに沿って生活しているだけなのだ。

モテ/非モテ、それは生活の様式である。

朝起きるのに化粧の時間を考慮するか否か。友達と入る喫茶店のセレクト、そこで撮った写真をインターネットにアップする時どんなコメントをつけるのか。赤っぽく加工するのか白っぽく加工するのか。投稿先はInstagramTwitterFacebookか。どんな服を選ぶのか、どんな靴を選ぶのか、冬にもペディキュアをするのか。友達が自嘲的に言った冗談にどんな反応を返すのか。友達に「モテるよね」と言われた時の反応は「え〜そんなことないよ〜」なのか「正気か?」なのか。それが生活の様式である。モテの生活の様式があり、非モテの生活の様式がある。そしてそれと狭義の「モテ」は、微妙にずれた軸になっているのだ。異性ないし同性から支持を集める生活の様式というものはあるかもしれない。それはモテ系と重なっているかもしれない。しかし根本的なところでは、モテ系であることとモテること、非モテ系であることとモテないことは関連がないのだ。周りを見渡して、「そういえばモテないモテないと言ってるけどあいつ彼女いるよな」「モテそうに見えるけど彼氏ほしいってずっと言ってるな」という人はいないだろうか。私の周りにはけっこういる。

モテ/非モテとは生活の様式のことである。それは狭義のモテとはあまり関連がない。というのが私の意見であり、ゆえに、私には恋人がいるが非モテである。

と学生の頃主張したら非モテの友人たちからめちゃくちゃ怒られました。以上です。

以上と言いましたが、またモテ/非モテが二極的な対立概念ではなくこのどちらにも当てはまらない人が多くいること、個人的な見解でありどんな意見、どんな人をも批判・否定するものではないことを付記しておきます。