好きなことの話

好きなことの話をします

初めての化粧の話

高校生のとき、文化祭で映画を撮った。ヤンキーという設定の女の子たちはみな化粧道具を持ち寄って、はしゃぎながら慣れない化粧を施した。クラスの女の子たちの何人かは口紅を塗っただけで大幅に可愛くなっていて目を見張ったが、私自身については、なんにも変わってないじゃん、と思った覚えがある。私はそのころ、自分の顔をよく見たことなんてなかったのだ。自分と同じ顔の人間とすれ違ったって分からなかっただろう。ただまあ、今になって思うと、アイシャドウが水色だった時点で最悪の出来だったと思われる。初めての化粧でうまく可愛くなった子はそのまま化粧を続け、私のようなタイプはすっぴんで通すことになった。

そのだいぶ後の国語の授業で、寺山修司のこんな言葉が紹介された。

「私は化粧する女が好きです。そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。そしてまた化粧はゲームでもあります。顔をまっ白に塗りつぶした女には『たかが人生じゃないの』というほどの余裕も感じられます。」(青女論)

化粧をしている女の子たちは、この言葉を一刀両断した。「そんなことはひとつも考えていない、かわいいと思うからやってるだけ」というのである。そうだよな、と私も思った。

でも今ならわかる。あの日私たちは、虚構によって乗り切るべき現実なんてなかったのだ。私は自分の目の形を知らなかった、肌が汚いことを知らなかった、他人からどう思われていて、それをどう覆すことができるのか知らなかった。覆したいと思っていたって、それと化粧がなんの関係があるのか、考える手がかりもなかった。私たちには友達がいて、美しく泥臭い青春があり、幼くて健康だった。乗り切るべき現実は、勉強や親との関係や恋や友達や悪口や露出狂で、化粧とはなんの関係もないように見えた。

いま、毎朝鏡に向かって肌のくすみを一生懸命消しながら、青いアイシャドウのことを思い出す。自分の顔に気づいていなかったころ、口紅を塗るだけで美しかったあの友達のことを。