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好きなことの話

好きなことの話をします

祖母の納骨

祖母が亡くなって一年になる。

そのとき私は大阪に住んでいて、訃報はメールで届いた。外部研修を終えて携帯の電源を入れたら、「おばあちゃんが亡くなりました」という母からのメールが届いていた。私は感情の動かしどころを見極められないまま同期と手を振って別れ、しばらく歩き、Uターンしてベンチに座った。会社に電話をかけて、電話に出た上司に開口一番「お疲れさまです、いまよろしいですか、実は祖母が亡くなりまして」と切り出した。上司がお悔やみの言葉を述べ終わるのを待たず「忌引きの規定についてお伺いしたいんですが」と私は言い、思ったより動揺してるな、と自分に呟いた。

何日から何日まで休むか、その間の研修はどうするか、といったことを打ち合わせている途中、ふいに「お祖母さんとは、仲がよかったんですか」と上司は聞いた。私はなにも考えず「いや……むしろ、苦手で……」と言って、あっいまのはそういう意味じゃなくて、と口の中で言い訳し、「でも、可愛がってもらいました」と続けた。

私はだいたいにして、老人というものが苦手だ。耳が遠くて言葉がろくに通じず、価値観が異なりすぎて共通の話題が見つからない。老人を前にすると私はむやみに緊張し、おどおどと相手の顔を伺って微笑むだけの人形と化す。中でも祖母は、いくつかの事情も重なって、苦手意識を取り除くことができなかった。また来てねえと手を触られて、鳥肌が立ったこともある。ひどい孫だ。どうしてそう苦手だったのかここで言うことはしないが、祖母の名誉のために、祖母の人柄がどうこうというわけでなく、私の受け取り方の問題だった、と言っておきたい。

なにが一番苦手だったかというと、会話がうまく成り立たないことだった。耳が遠いこと、独居が長く話し相手が少ないこと、またそれらへの不安が相まってだろう、祖母は大声で途切れなく喋り、相手の反応はわりにどうでもよさそうだった。私が気を使っておどおどと返す言葉は彼女に届かず、届いたとしても「ああそう」と流された。祖母のコミュニケーションの方法と私のコミュニケーションの方法が、あまりにもかけ離れていたのだ。

祖母の家は坂の途中にある。

私が最後に祖母と会ったとき、祖母はその家の中で静かに弱っていた。耳はより遠く、物忘れはよりひどくなり、会話を成立させるのは、少なくとも私には困難だった。母は辛抱強く祖母の話に相槌を打ち、体調を心配していたが、私は部屋の隅で黙って座っているだけだった。

そろそろ帰ろうという段になって、父が「すぐそこにカタクリが生えるところがあるから、ちょっと見てから帰ろう」と言いだした。父はカタクリの花が好きなのだ。祖母は玄関先まで見送りにきて、ふいに気を変えて、あたしも行く、と言い出した。かなり足も弱っていたので、私と母はやんわりと止めたが、カタクリが生えているのはほんとうにすぐそこだったので、結局は一緒に家を出た。

気の早いたんぼぽが咲いていたのを覚えている。父が、ここらのはカントウタンポポのはずなんだが、これはセイヨウタンポポだな、と言いながら花をちぎって捨てた。カタクリはほんの少しだけ咲いていたが、まあ、もともとあまり華やかな花ではない、私はすぐに飽きて写真も撮らなかった。

ふと気がつくと、父は坂を更に20mほど登っていた。なにか見つけたのか、手を振っている。母が小走りでそっちに行ってしまい、私はそれを追いかけるか迷った。祖母が走れるはずはなく、一人にするのも悪い。私は手持ち無沙汰に母の背中を見送った。

「走ってく」

祖母も母を見送りながらつぶやいた。祖母とそんなふうに二人になるのは、ほとんど初めてのことだった。家族なり、親戚なり、祖母の家には必ず誰かがいた。私から祖母に話しかけたことが、一度でもあっただろうか。

春の陽気が戸惑いを和らげた。私は、「最近、ウォーキングをしてるんですよ」と両親を指して言った。「ここ二週間くらい。ちょっと走ったりしてるみたい」と続けて、祖母を見ると、祖母はいつもどおり「あらそう」と私の言葉を受け流した。

「でも、続けないと意味ないからね」

私ははっとして祖母を見た。聞いたことのないくらい落ち着いたトーンだった。祖母はなんてことのないような顔をしている。私が「……そうですねえ」とつまらない返答をすると、両親はまた小走りで坂を下りてきた。

祖母と私が生まれて初めてまともな会話をしたことも知らず、両親は、向こうの方は黄色いのも咲いてた、と言って笑った。私たちは笑い返し、祖母は家に、私と両親は駅へ向かった。

私は通夜の日の昼にのんびり神奈川に帰ってきて、葬式に出て、なにもせずに大阪に戻っていった。祖母が本格的に体調を崩したのは私が大阪に発ってすぐなので、入院のどたばたにも一切関わっていない。親戚の中で一番遠くにいて、一番なにもしない、そういう立場だった。まあ、何を言う権利もなく、言う気もなく、机を拭いたりごみを捨てたり、その程度の雑用をしただけだ。

だから、祖母と最後に会ったあの日のことを思い出すのに、私はすこし罪悪感がある。つらいところを体験せず、いい思い出だけつまみぐいして、なんというか、都合のいいものだと自分で思うからだ。

一周忌を機に納骨をした。祖母の家の敷地の隅にある墓を石屋に開けてもらい、十年以上前に亡くなった祖父の遺骨と顔を合わせた。祖母の遺骨はその横に、寄り添うように納められた。

石屋はTシャツの裾をだらしなくジャージに突っ込み、タオルで鉢巻をして、手を合わせることもなくさっさと墓を閉めた。経をのべる私たちに構うことなくガスバーナーで線香の束に火をつけて配り歩き、気がついたらいなくなっていた。叔母は渋い顔をしていたし、私も、祖母が見たら嫌な顔をするだろうな、と思ったが、すこし愉快だった。

檸檬の木が墓の側にぬっと生えて、葉をぴかぴか光らせていた。いとこが、これから蝶の幼虫が付くんだよ、と眉を寄せた。