まずはこのPVを見てください。
歌詞はこちら。
http://sp.uta-net.com/search/kashi.php?TID=202647
いかなる感想をお持ちになったでしょうか。
思い出してほしいのですが私は女の子が好きです。
かわいい女の子が出てきてつぎつぎ「愛してるよ」と言ってくれるこのPVが嫌いなわけがありません。会社行くのいやだなー、という日はこれを聞いて気合をいれています。1番の「calling calling」あたりで「あいしてるよーー!!」と叫ぶ子が最推しです。名前も知らないけど。
女の子が好き、というとき、少しだけ罪悪感がある。その罪悪感の源が何なのか、このPVについて思うことを整理すると分かるかなと思うので、書きます。
私は言葉の無力を信じている。これについては話すと長くなるので、一万回愛してると言うより、抱きしめるほうが感情が伝わる、みたいなことを想定してください。
加えて、「愛してる」という言葉は冷笑を浴びがちだ。夏目漱石がI love youを「月が綺麗ですね」と訳したという逸話がこんなに人気なのは、「愛してる」では伝わらない何ががあると一般的に考えられているからだと思う。
しかし彼女たちは「愛してるよ」とだけしか言わない。
そしてその言い方も、だいたい何パターンかに分けられる。「愛してるよ❤️」とかわいく小首を傾げる、(あいしてるよ)と小声でささやく、「愛してるよ!!」と叫ぶ、などだ。口の横に手を添えるポーズも頻出する。
話は変わるが、「自撮り」という言葉がある。見たことありますね。かわいかったりかわいくなかったりする女の子たちがインカメラで自分を撮る。自分の一番かわいい角度で納得いくまで撮り直し、「めっちゃ盛れた〜!」や「ほんとに自分の顔嫌い。。」などのコメントを付けてSNSにアップする。
このPVも、ほぼ全てが自撮りであることに気づかれたと思う。
自撮りを批判する意見として「いっつも同じ角度」という言葉が聞かれる。他の角度ではかわいくないんだろ、とか、全部同じ顔に見えて個性がない、などの批判的意図が感じられる。
PVでも同じ角度からの自撮りが次々映るシーンがある。おそらく意図的なものだ。
同じ角度でしか写真に写らない女の子たち。
サビの歌詞をもう一度見てほしい。
君のオススメに面白いものはひとつもなかった
私はこの歌詞を聞き取ったとき、あまりの痛烈さに息を呑んだ。
私が主にいる界隈では――創作とか、サブカルとかだ――「おまえつまんないな」というのはかなりキツい言葉だ。
きみの「愛してるよ」の言い方に面白いものはひとつもなかった。きみの自撮りの角度に斬新なものもひとつもなかった。きみたちは絶世の美女ではなく、平凡な化粧をしたり白飛びさせすぎて顔が真っ白になったり、べつにぜんぜん、かわいくない。個性的じゃない。
平凡な女の子たち。
女の子は愚かであることを愛される、とこの間書いた。平凡であることを愛される、と言ってもいい。ナンバーワンじゃなくてもオンリーワンじゃなくても、その平凡さや、その平凡さに気付かない純粋さが愛される。
でもそれは、女の子たちをなんにも分かってないバカって言うのとおんなじなんじゃないか。上から目線なんじゃないか。愚かでかわいいって、人間を人間として扱ってないってことじゃないのか。いとしいなんて、言っていいんだろうか。
でも、この曲も、このPVも、disではぜんぜんない。
歌詞はこんなふうに続く。
君のオススメに面白いものはひとつもなかった
それでもついていきたいと思った 楽しい日曜日
君の落書きに斬新なものもひとつもなかった
それでもなんか笑える毎日 逆に新しい
どんなに平凡でも、つまらなくても、それでもきみが好き。
通勤中サビにさしかかるたびに、「それって、それって、愛じゃん!!!!」と思う。
きみが平凡であることは、きみのかわいさを何も阻害しない。きみが愚かであること、きみが大量生産的であることは、私の気持ちの信憑性を損なうものではない。
愛しているのは愚かさそのものじゃなくて、平凡であることは関係なくて、それらはきみのかわいさの、一側面でしかない。
このPV、たとえば「有名アイドル50人が愛してるよと次々言う」というものだったら、ぜんぜん意味が違ったと思う。彼女たちは決して、みんな名前を知ってる、みたいな人たちではない(私は水野しずくらいしか知らなかった)。このPVに出てくる女の子たちのうち2人は、私の大学の同級生にめちゃくちゃ似ている。
かわいいけれど、美少女じゃない女の子たち。それは私の隣や、地球の裏側にいる、あらゆる女の子たちの象徴だ。
平凡でも、かわいくなくても、カラコンで不自然な黒目になってても、きみが好きだよと、なるべく胸を張って言いたい。だってかわいいんです。