好きなことの話

好きなことの話をします

16歳と24歳の話

25歳になった。

思いおこせば16歳のとき、「あ、私にぴったりの年齢だ」と思った。14歳も15歳も私の体に馴染まなかったけれど、16歳はぴたっと私にはまった感覚がした。16歳のイメージと、16歳の自分が合致していたんだろう。

そして、16歳はほんとうに楽しかった。高校1年生から2年生。夏休みに映画を撮ったり、演劇部でふざけまくったり、悪口の間で揺れたり、私が16歳でやるであろうことはだいたいやった。17歳になったとき、ボーナスタイムが終わったような気持ちがしたことを覚えている。それから18歳になっても19歳になっても、あのぴたっとくる感じはしないままだった。

それで、24歳が終わったいま、25歳のぴたっとこなさにびっくりしている。16歳ほどでなくても、24歳は私にぴったりの年齢だったようだ。仕事をして、本を読んで、少しだけ小説を書いて、新しい人と会ったりして、あんまり頑張らないけど無気力ではなくて、けっこういい一年だったような気がする。

これからの人生であと何回か、こういうぴったりの年齢がやってくるのだろうなと思う。たぶん30代や40代で。そのための準備を、ぴたっとこない25歳や26歳ですることになるんだろう。ぴったりこないなりにいい一年にします。

【SS】アルパカ

最近会ってる人、と同居人から見せられたラインの画面は、名前の欄に「アルパカ」と表示されていた。

「……アルパカ?」

同居人は一瞬けげんそうな顔をして、「ああ」とその画面を見た。「あだ名。って言っても呼ばないんだけど。誰がどういう人だか分かるように、第一印象を動物で書いとくの」

同居人は常に五人ほどの「食事を奢ってくれる男の人」をもっていて、そのうち二人程度は二ヶ月に一回のペースで入れ替わる。しかし、名前を覚えていないほどとは思わなかった。私の呆れた視線を同居人は軽々と避け、「うさぎ、文鳥、蛇、ダックスフンド」とラインの友達一覧を見せてきた。

「蛇……相手にバレたら怒られない?」

「怒られないよ。むしろ喜んでた」

「見せたんかい」

「見せちゃだめ?」

アルパカのふわふわを思い浮かべながら、「で、それは新しい人だよね、アルパカっぽい人なの?」と聞いてみると、同居人は薄い笑顔を浮かべて「まあね」と言った。微妙な反応だ。私はベッドの上のスマホをとって、「アルパカ」で画像検索した。かわいい顔をしているような、そうでもないような。顔だけを残されて丸刈りにされた姿はわりと怖い。

「かわいい系?」

「いや、アメフト部」

「足が短いとか」

「そうでもないねえ」

「首が長い」

「それならキリンにするなあ」

「いつも厚着」

「厚着のアメフト部員見たことある?」

ない。降参のしるしにスマホを持ったままの手を挙げると、同居人は私の手からスマホを抜き取って、ウィキペディアのページを開いて私の目の前にかざした。

……威嚇・防衛のために唾液を吐きかける習性を持つ。この唾には反芻胃の中にある未消化状態の摂食物も含まれており、強烈な臭いを放つ。……

「……さっ」

最低じゃないか。開いた口が塞がらない私の手にスマホを戻し、「まだ見られてないけど、見られたら『よく見るとかわいいから』って言うつもり」と微笑んだ。

「さ、最低」

「道に唾吐くほうが最低でしょ」

「あと唾が臭い男に酒を奢られるな!」

「それなんだよねえ、ごはんがおいしくないからねえ。もう会わないかなー」

「そうしな」

言ったそばからアルパカのアイコンの横に新着通知が光る。明日会えない?とのこと。んー、と悩む同居人を軽く睨むと、「よく見るとかわいいのもほんとだよ」といつもの微笑みを返して、未読のまま携帯をブラックアウトさせた。



> アルパカ https://odaibako.net/detail/request/e6f416d554e44344b256d560b2f07e48 #odaibako

【SS】ハリネズミは裏切りの食卓の上

「でもほんとうに、さつきが結婚すると思わなかったな」

「何回言うのそれ」

さつきはカウンターの向こうで笑っている。駅から徒歩20分でも即決したという、大きなカウンターのダイニングキッチン。私の手土産のカステラを切っているさつきのその手元を見るともなしに見ながら、「……だってほんとうにびっくりしたんだもん」と私は言う。私のはすむかいでは、さつきの夫が所在無げにうつむいている。爪をいじるその神経質な手つきから視線を逸らして、私はさつきばかり見ていた。さつきがどんな男を伴侶に選んだのか、知りたくなかった。さつきは、結婚できないんじゃなくてしなかったの、とぶつぶつ言いながら、カステラを運んでくる。

へんな唐草模様のついた平皿に、カステラが積み木のように乱雑に転がしてある。さつきは皿を置いたその手で一切れを掴み、立ったまま口に運んだ。さつきの夫はそれを微笑みながら、おそらく愛のある目つきで微笑みながら見守り、礼儀正しく「いただきます」と私に言ってから手を伸ばした。

「だってさあ」

私はカステラに手をつけずに、女子高生のころのように机に上半身を預けてさつきを見上げる。

「……だってさあ。言ったでしょう」

「なにを」

「私を置いて結婚しないって」

さつきはまじまじと私を見て、「……そんなこと言ったっけ?」と首をがくんと傾けた。そんなことだろうと思った。さつきの夫が気の毒そうに私を見たので、私は過剰に演技がかった仕草で「ひどい、裏切ったのね!」と目元をぬぐってみせる。

私はカステラの皿をまじまじと見た。白地に水色のプリントで描かれた唐草模様の中に、よくみるとまぬけな顔のハリネズミがいる。中学生の女の子が好むような、ファンシーなイラストのハリネズミだ。持っているりんごだけが赤く描かれている。ダサい。私は眉根を寄せて、デパ地下で一生懸命選んだ金色のカステラを手に取って口に運んだ。

この子は高校の頃からそうだ。どんな高級品も、どんなセンスのいい雑貨も、あっというまにポップでダサい色合いに変えてしまう。夫はそれに気づいているんだろうか? カウンターの上にはすでに、どこのともつかない小さなお土産品が雑多に置かれてこぼれ落ちそうだ。

「結婚なんてしなければよかったのに」

「また言ってる」

「私を置いて」

「はいはい」

そして私の声がだんだんと真剣みを帯びてくるのに、いつまでも気がつかない。私はハリネズミの持っているリンゴを見つめながら、これがダサいことに気づかない夫であってほしいと、旧友の幸せを無言で祈った。カステラのしっとりした甘みが口の中に残り、指がぺたぺたする。麦茶くらい出せよ、と私が言うと、さつきはしようのない子供を見る母親のような顔で笑った。

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これ回してひとつ https://odaibako.net/detail/request/01060e1ad9cd419ea06ddd24d4396117 #odaibako

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自己紹介の話

やってることをまとめる用の記事です。

【やってること】

・小説(主に現代日本を舞台としたエンターテイメント作品)

・二次創作(主に『フェンネル大陸』シリーズ。あまりやっていない)

・短歌(あまりやっていない)

【さまざまなURL】

・ブログ

http://rikka-6.hatenablog.com/

このブログです。

Twitter

https://twitter.com/69rikka

日常アカウントです。たいていの活動はここで報告します。二次創作関連ツイートありますのでフォローはご一考ください。

カクヨム

https://kakuyomu.jp/users/69rikka

小説家になろう

https://mypage.syosetu.com/177354

一次創作小説を載せています。同じように掲載していきますので、読みやすいほうでどうぞ。

・お題箱

https://odaibako.net/u/69rikka

文章の練習用にお題を募集しています。何かを投げ入れると散文が返ってくることがあります。匿名でなにか言いたい人もここにどうぞ。

・BASE

(URL非公開)

以前文学フリマに参加した際に作った本『プラスチック』を売るために開設しましたが、いまは何も売られていません。買いたい人にURLを渡す方式で運用していましたが、この先変更するかもしれません。

・ぷらいべったー

(URL非公開)

二次創作はぷらいべったーのみに掲載する予定です。URLは都度ツイッターに流しますが、まとめる予定はありません。

【イベント】

文学フリマ

一回だけサークル参加しました。また参加したいです。参加するときはこのブログで告知します。

変化があれば更新します。

【SS】猫のいる生活のこと

10時にお風呂に入る。

わたしはお風呂に入る前の体重計、無駄毛チェックを省いて素早くお風呂に入り、ほとんど湯船に浸からずに体と頭を洗った。ここのところ続けていたボディスクラブももちろん省略して、手早く体を拭く。化粧水をつける時間はまだあるが、結局しないことにした。ドライヤーもせず電動歯ブラシのスイッチを入れると、洗面所に入ってきた母が「あれ、もう歯磨いてる」と不思議そうな顔をした。「んー」「もう寝るの?」「んーん」「そう?」「んー」「お弁当箱出しといてよ」「んー」

走って部屋に行き、お弁当箱を出してシンクに置く。矢崎くんも、毎日お母さんにお弁当箱出しなさいって言われてるのかな。これで10時20分。

さてここからが問題だ。私はメモを開いて絶望的な気分になった。10時20分から11時まで、ストレッチと筋トレ。私は絨毯に座り込んで、とりあえず開脚してみた。90度をすこし越えるほどしか開かないが、無理やり体を前に倒してみる。膝の裏がみりみりと音を立てるようだ。足を揃えてまた腕を伸ばすが、つま先に届くどころか、腰を立てるだけで膝が曲がった。筋トレなんて、腕立て伏せくらいしか思い浮かばない。3回ほどやってみたが、すぐに体が持ち上がらなくなった。じゅうたんにひたいをぐりぐり押しつけて、これを、毎日、とつぶやく。

電話してみようか、と思ったが、すぐ首を振った。それじゃ、彼女から電話が来た日の矢崎くん、になってしまう。

矢崎くんとは、付き合って2ヶ月になる。文化祭で一緒の係をやるうちに、なんとなく付き合うことになって、それなりに仲良く過ごしていたが、わたしはどうにも矢崎くんのことが分からなかった。矢崎くんがというか、男の子がふだん何を考えて、何をして暮らしているのか、さっぱり想像がつかなかったのだ。しつこくしつこく聞き出してメモしたのは、10時にお風呂に入ってから12時に寝るまでの、矢崎くんのスケジュールだった。

だいたいなんでお風呂のあとに筋トレなんだろう?もう一回汗をかいてどうするんだろう?書いてないけどもう一回シャワー浴びるのかな?もしかして汗かいたまま寝てるのかな?わたしは顔をしかめて、その想像を振り払うためにもう一度だけ、腕立てをした。化粧水を塗っていない顔がすこし乾いてきた。

11時になったら水を飲んで休憩。お茶は飲まないらしい。タオルでしっかり汗を拭いて、ミネラルウォーターを飲む。矢崎くんもしっかり汗を拭いてる、でなければシャワーを浴びている、はず、と自分に言い聞かせながら、お風呂と筋トレで出て行った水分を補給する。体の奥の方がほぐれる感じがして、喉が渇いていたんだな、と分かる。飲んでから喉の渇きに気づくこの感じを、矢崎くんは毎日味わっているのかな、と、わたしは思う。

部屋に戻って、矢崎くんが毎週買っているという漫画雑誌を開いてみた。全部途中からなのでさっぱり分からない。読みやすそうな四コマを選んで読む。ふつうに面白いけれど、お金を出して買うほどではない。矢崎くんの好きなタイトルのものは主人公の顔が見開きで切れていてちょっと笑ってしまった。矢崎くんはそのまま他の漫画を読み返したり、宿題があったら嫌々やったりしているという。0時を過ぎると親に怒られるので、5分前には電気を消しているのだそうだ。わたしの親は何時まで起きていても特になにも言わないので、わたしも思う存分手持ちの漫画を読み、嫌々英語の予習をやった。筋トレをしている間と違って、時間はすぐ過ぎる。時計が23:55という表示になるのを見届けて、わたしはうんと伸びをした。布団に入って、電気を消す。毎日おやすみのラインを送っているのはわたしだったから、今日も送ろうか迷ったけれど、最後まで矢崎くんの一日を過ごしてみたかったのでやめた。でもそれなら、矢崎くんからラインが来たらいいのに。

仰向けになって目を瞑ったとたん、顔の横に置いた携帯が震えた。飛び起きて携帯をつかみ、「もしもし!」と早口で電話に出る。矢崎くんが「めっちゃ速い、出るの」と笑うので、私も笑った。矢崎くんのほうから電話をくれるのはほとんど初めてだった。

「どうだった?俺の生活」

「うーん、なんか、よくわかんなかった」

「筋トレしたの?」

「したよ、無理だったけど」

「俺もまあまあサボってる」

「えー!」

「内緒な」

男の子なのにくすくす笑う、この声が好きなんだよな、とわたしは思いながら、「ねえ、歯磨くの早くない?お風呂上がったあとアイス食べたりしないの?」と聞いてみる。しない、という明快な答えが返ってくる。「晩御飯のあと食べるなら晩御飯倍食べたほうがいい」というが、アイスと晩御飯は別物、という説明がうまく伝わらない。好きな人と一緒に住んだら、夜中に手を繋いでアイスを買いに行くのが夢だったので、すこし残念だ。

突然、矢崎くんの声にノイズが混ざる。ねころがった矢崎くんが体勢を変えたのかな、と思うけれど、「お、どしたどした」と矢崎くんが甘い声を出すので違うとわかる。なに?と尋ねると、「ん?猫が来た」と矢崎くんは簡単に答える。

「猫?」

「猫。最近ドア開けるんだよな」

「飼ってるの?」

「うん?うん。飼ってる」

「前から?」

「子供のころから」

わたしは絶句し、この人のこと、ぜんぜん分からない、と思う。毎日筋トレするのより、晩御飯のあとアイス食べないのより、だんぜん分からない。

「……知らなかった」

「あ、そう?」

「今度、写真見せて」

「いいよ。撮っとく」

撮っとく!わたしはあとずさるような気持ちで、じゃ、そろそろ、寝よかな、おやすみ、と言って電話を切った。

ふかく、ため息をつく。

飼ってる猫の写真を撮らない人と付き合ってだいじょうぶかなー、とわたしは顔を覆う。筋トレに猫がすりよってくる生活の中で、どうやったら猫を可愛がらずにいられるんだろう。いや可愛がってるんだろうけど、なんでいままで見せてくれなかったんだろう。

矢崎くん、たぶんぜったい、わたしのこと友達に自慢してないな。

その確信があまりにも強く、別れよ、と思うけれど、いやそれはさすがに意味がわからなさすぎ、と思い直す。これくらいで嫌いになってどうする。いや、でも、猫の写真を撮らない……。

わたしはひっくりかえって枕に顔を埋める。だいじょうぶかな。男の子って、わからない。お風呂も歯磨きも筋トレも漫画も、ぜんぜん意味が違うじゃないか。とりあえず明日は、筋トレはしないだろう。

【SS】ピクニック

 夏期講習が終わる頃には、雨は本降りになっていた。菜月は桜の木に落ちる雨を眺めて、すこしため息をついた。夏のピクニックは中止だ。

 嬉しいのか、がっかりしているのか、よくわからない。窓から視線を外して、帰っていく同級生たちを見送っていると、数学教師と目があった。

「菜月、帰んないの?」

 若い数学教師は生徒のことを下の名前で呼ぶ。菜月はそれがすこし嫌だった。なんというか、なめられている、と感じるのだ。生徒と近い目線で、などと思っているのだろうが、若いとはいえ一回り以上離れているのだ、友達になれないことくらい、わかっているはずなのに。友達になれないなら、適切な距離を置いてほしかった。

「帰ります。でも、今日は、叔母の家に寄るので」

「叔母さんの?  どこなの」

「すぐそこです、あの、十二時ちょうどに来いって言われてるので、時間をつぶしたくて」

「へえ、なにかあるの?」

 菜月は愛想の良さを取り繕うのが嫌になった。低い声で「ちょっと」と濁して、笑顔も消す。数学教師はそれを気にする様子もなく、「ふーん、早く帰りなね」とだけ言って、教室を出て行った。

 菜月は夏期講習のプリントに視線を落とした。丸もばつもついている。高校は、菜月の成績なら問題なく推薦できそうだ、と担任はごく軽い調子で言っていた。それを信じて、塾にも行かず、中学校のやる夏期講習にだけ顔を出しているけれど、こうして丸やばつを見ていると、ごめん、推薦できなくなった、とやっぱり軽い調子で言われたら、と思うと、肺が狭くなる。両親は、推薦が取れそうだと伝えた時点でごく楽観的になり、不安がる菜月を笑い飛ばした。

 そうだ、夏のピクニックだ。

 いとこが生まれるまで、夏のピクニックは佐川家の恒例行事だった。菜月が生まれるまえから、らしい。ふだん食べられないようなデパ地下のお惣菜や、手作りのサンドイッチを持って、大きな公園に出かけていく。大人たちはワインを飲み、菜月には瓶に入ったジュースが振る舞われた。

 叔母といとこ、両親、それから両親の友人がふたり来るはずだけれど、この雨では外に出て食事など、できそうにない。ましてボール遊びなんて。菜月は眉間をさわった。いとこの顔を思い浮かべると、そこにしわがよる。

 いとこは沙祐美といって、四歳になる。菜月も叔母も両親も、さみちゃん、と呼んでいるし、さみちゃん本人も自分のことをさみちゃんと呼んでいる。保育園に入り、ぐっと言葉の幅が増え、憎らしくなってきた。

 この間さみちゃんに叩かれた太ももには、まだ痣がある。叔母はすぐにさみちゃんを叱ったが、菜月にはなにも言わなかった。菜月は制服のスカートの上からそこをさすり、さみちゃん、がっかりしてるだろうなあ、と、むりやり平和な方向に思考を持っていった。がっかりしてるだろうなあ、泣いちゃったかもな。でもほんとうは、泣いちゃったなんてかわいいものではなく、大声で泣き喚いて暴れるだろうと分かっていた。初めてのピクニックを、あんなにも楽しみにしていたのだから。

 菜月は長針が10を過ぎるのを待って、教室を出た。折り畳み傘を鞄の底から引っ張り出しながら、スニーカーに履き替える。

 昇降口は、ドアが透明なのがいい。菜月はスニーカーのかかとを踏んだまま、外をぼんやりと眺めた。砂の匂い、それから下駄箱の、金属の匂い。雨はまっすぐに地面に落ち、すべてを灰色にくすませている。雨の形を知っていますか、という番組を、この間見た。上がとがった、雫型のイラストをよく見ますが、あれは間違いです。空気抵抗によって、雨粒は赤血球のような形で歪んで落ちてきます。ナレーションの声を頭の中に響かせながら、菜月は外に出た。小さい傘の下、紺色の靴下はすぐびしょ濡れになる。

 叔母のマンションは、入り口で部屋番号を押して中の人に開けてもらわないと入れない。初めてここにきたとき、あまりに立派なロビーを見回していると、叔母はさみちゃんを抱きながら「いいでしょう、慰謝料で買ったのよ」とにやりとした。そのにやりを、来るたびに思い出す。

 ドアを開けてもらい、エレベーターホールに向かう。管理人らしい男性がこちらをちらりと見たので、菜月は早歩きでエレベーターに乗り込んだ。菜月の歩いたあとは、傘から落ちた水滴が道を作っていた。

 

「おっ、来たきた」

 ドアを開けたのは父だった。

「せっかく会社休んだのに、残念だったね」

 菜月は靴を脱ぎながらそう言ったが、父はきょとんとして「なにが?  ああ、雨か」と言った。手にはタオルを持って、菜月の濡れた鞄を拭こうとしているのに、雨か、はないだろう。菜月が濡れた靴下を気にしながら上がると、父は「菜月が来たぞお」と奥にむかって叫んだ。叔母と母の声が「はーい」と揃う。声に遅れて叔母が顔をだし、おいで、と手招きした。父の友人の男性は一人、所在無げに立っていた。

「では、始めましょうか」

 叔母は重々しく言った。その足元で、さみちゃんが無表情に叔母の手を見上げていた。叔母の手には、赤と黄色のボーダーの布が握られている。レジャーシートだ。

 まさか、行くつもりなのか。菜月が呆れて見ていると、叔母は軽い足取りで窓に近づき、ベランダに出た。

 菜月とさみちゃんが並んで見守る中、叔母はサンダルをつっかけ、シートを振り上げ、広げた。ばさっ、と大きな音が立ち、思ったよりも大きなシートがベランダに舞い降りた。

 母と父が続けてベランダに出て――父はいつのまにか裸足だ――バスケットを置き、重箱を並べる。サンドイッチ、手毬寿司、卵焼きと唐揚げ。りんごを丸ごと、白ワインが一本、丸いチーズ。それからあれはなんといったか、パテ・ド・カンパーニュ? プラスチックトレイの輪ゴムを外すと、立派なサラダが現れる。デパ地下のやつだ。菜月とさみちゃんのためのジュースは葡萄。プラスチックのワイングラスが人数分並べられ、ひとつを叔母が手にとって手酌でワインを注いだ。「はいっ!」と父の友人に手渡すと、父の友人は拝む真似をしてから受け取り、ワインボトルを受け取って叔母のグラスに注ぐ。

 外は雨。

 背中を押されるままにベランダに出ると、すこし雨が入ってきているのがわかった。霧程度のこまかい雨粒が顔にかかる。菜月の右隣に父が座って、雨粒は父のからだに遮断された。母が菜月にワイングラスを渡し、瓶から葡萄ジュースを注ぐ。叔母がふざけて、かんぱい、とグラスを持つ手を伸ばした。

 いつのまにか、さみちゃんが隣に座っていた。グラスではなく、いつものコップにジュースをいれてもらっている。取り皿が配られ、菜月も座った。シート越しに、コンクリートの地面がじんわりと熱い。

 クラスじゅうが鉛筆を持って、一斉に長い線を書いたらこんな音がするだろう。取り皿が行き渡り、叔母が全員を見渡すあいだ、雨の音が大きく、でも静かに聞こえていた。菜月は灰色の空と、食べ物の広がる地面を交互に見た。

「では、いただきます」

 叔母が大げさな口調で言うと、菜月以外の全員が「いただきまーす」と声をそろえた。菜月もあわてて「いただきます」と手を合わせ、少し迷ってから、唐揚げに手を伸ばす。母の唐揚げは、昨日から味をなじませていたものだ。衣はすこし湿っていたが、やわらかい歯ごたえがうれしい。菜月は自分の空腹に初めて気がついた。

 遠くで雷鳴が聞こえるが、大人たちは気にせず飲み、食べた。菜月もサラダのトマトだけは丁寧に避けて、満遍なく手をつける。雨はときおり顔にかかったが、さっきほどの勢いはなくなっていた。強い風に紙皿やラップをさらわれないように、みんなしっかりと握っている。母がちょっと置いたつもりの割り箸は風で存外遠くまで飛んでいき、母は「あああー」と追いかけていった。

 さみちゃんはジャムのサンドイッチだけをもくもくと食べていた。菜月はその手元を見て、すこし、胸がつまる気持ちになった。丸い頬は、ほとんど自分と同じ人間とは思われない。手をジャムでべとべとにしているのを見て、菜月はウエットティッシュを取ってやった。

 インターホンが鳴り、叔母が立ち上がった。菜月も顔を見たことのある、父の若い友人が「やあ、遅れまして」と挨拶しながら入ってくる。彼はすこし驚いたような顔でベランダを見渡し、菜月の手に白い箱を乗せた。カップケーキだよ、と彼は笑い、叔母から手渡されたグラスを持って片端から乾杯してまわった。最後にさみちゃんのコップともグラスを合わせる。菜月は箱の中身を覗き込み、かわいらしい色のケーキに頬を緩めた。

 そのとき、一際大きな雷鳴が辺りを満たした。思わず、みな肩を震わせる。おお、大きいねえ、と母が呟き、叔母が、雷注意報出てましたよ、と神妙な顔をして、さみちゃんの口の周りを拭いている。

 雷を怖がるのではないか、と菜月はさみちゃんの顔を覗き込んで、その表情に息をのんだ。顔周りを拭く母親に構わず、さみちゃんは一心に空を見ていた。視線を追って見上げれば、稲妻が空に走るところだった。素早く手を伸ばすように稲妻は走り、突然消えた。さみちゃんはそれを見ていたのだと、菜月には分かった。

「さみちゃん」

 呼びかけると、さみちゃんは菜月の顔を見てにっこりと笑い、空を指差した。

「雷、だよ」

 さみちゃんは首をかしげて、菜月も稲妻も無視して叔母に抱きつく。菜月も空を見るのをやめて、最後のひとつになった唐揚げに手を伸ばした。

「大人になってよかったなあ」

 叔母がグラスを傾けてしみじみと呟く。菜月は苦笑して、子供もわるくないよ、と、胸の内だけで呟いた。

小学生女子と遊んだ話

小学校低学年の女の子と触れ合う機会があった。私はご存知のとおり子供が苦手で、その主な理由は①急に死にそう②急に泣きそう③言葉が通じないといったところなのですが、小学校低学年の女の子というのは①②③のいずれにもあまり該当せず、たいへんかわいいものだった。

言葉が完全に通じる。通じるどころではない、ボードゲームの説明をしてもらった。これやろ!と私だけひっぱられたのでなにかと思ったら、私がパッケージをしげしげ見ていたゲームを取り出して「これやりたかったんでしょ!バレバレだよ!」と言われて「そ、そう〜〜やりたかったの〜〜バレてたか〜〜〜〜」と言うしかなかった。結構複雑なゲームで、しかもカードに書いてある漢字が読めてなかったらしくて、だいぶ要領を得ない説明ではあったが、ちょっとやったら私にもすぐ飲み込めた。小学校低学年ってこんなに言葉が通じるんだ……と思った。

子供時代を描く小説を読むとき、「子供がこんなこと考えてるか?」「こんな言語化できるか?こんな自我あるか?」「私が○歳のころはこんなことできなかった」などと思うことがあるのだが(私が幸せでアホな子供時代を送っただけの話かもしれない)大人になってからほとんど初めて小学生と接してみて、「なめてた!」と思った。意外と自我も言語能力もあった。

そのあとお菓子作りの話になって、バレンタインに好きな男の子にお菓子をあげたというのでいいねえーと言っていたら、「浅川ちゃんはバレンタインあげないの?まだ好きな人いないの?」と言われて、完全に心を撃ち抜かれてしまった。

言ったな!と思ったのだ。小学校低学年だと初恋はまだかみたいなのがかなりメインなトピックで、何回も好きな男の子を変える子もいればぜんぜんそういうの興味ない、男子はみんなバカ、みたいなスタンスの子もいて、「まだ好きな人いないの?」というのは、すごく自然な言葉だった。私も言ったな!それ!小学生のころ!と思ってだいぶ興奮して、「好きな人ねーいるよー!」と返してしまった。

私は小学生だったことがあるというだけで小学生のことを分かったような気がしていたけれど、それは私の頭の中の小学生でしかなくて、現実の小学生とは程遠い。私はどんどん忘れていくし、思い出せなくなっていく。そういうときにどうやって思い出すかというと、現実と触れ合うことしかないし、その現実とかつて自分が知っていた現実を混ぜ合わせて、自分の解釈を作るしかない。思い出したり、新しく知ったり、勘違いしたりしながら、自分の過去をもう一回作っていくのだ。

小学生があまりにもかわいくて、そういうことを考えた。自分のなかの小学生像がアップデートされた一日だった。