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好きなことの話

好きなことの話をします

高野文子「奥村さんのお茄子」の話

『棒がいっぽん』高野文子より「奥村さんのお茄子」の話をする。

一応ネタバレしない感じに書きましたが、そのぶん未読の方には何が何やら分からないかもしれない。とにかく読んでください。たのむ。これはアフィリエイトではありません。

棒がいっぽん (Mag comics)

棒がいっぽん (Mag comics)

さて、昨日食べたものを覚えていますか。私は手巻き寿司。お麩とわかめのお吸い物、茄子の揚げ浸し。お昼はカップ焼きそば。家族の冷やし中華を作ったら、薄焼き卵が綺麗にできたんだった。朝ごはん?えーと、ホットケーキかな。ヨーグルトも食べたかも。じゃあ、一昨日の晩ご飯は?……ええと、油淋鶏。それから……副菜はなんだっけ。肉じゃがかな。お昼ご飯?お昼ご飯は……ええと……えっとね……あ、そうだ、サンドイッチ!朝ごはんは、なんか、パン!

じゃあ、二十五年前のお昼ごはんは?

この漫画は、こう聞かれるところから始まる。

「一九六八年六月六日木曜日 お昼何めしあがりました?」

主人公、奥村さんにこう聞いてきたのは、遠久田と名乗る謎の女。「とっても遠くから来ました」という彼女は、彼女の先輩の汚名を晴らすため、25年前、19歳のころの奥村さんの、6月6日のお昼ごはんのおかずを聞きにくる。「茄子」を中心に、物語は思わぬ方向へ転がりだす。ホラーにしてSF、シュールにしてあたたかい。傑作と言ってまちがいないでしょう。

25年前、私は生まれてないので適当に20年前と置き換えてみます。1996年6月6日。そんな日、ほんとうに実在したんでしょうか。ウィキペディアを見ても、たいしたことは起こらなかったようですね。1968年6月6日はどうでしょうか。あ、ロバート・ケネディが暗殺された日とのこと。でもこれは、19歳の奥村さんにはなにも関係ないようです。

あー今日なんにもしなかったな、という日がありますよね(私にはとてもよくあります)。あるいは、会社に行って仕事をして、定時には終わらなかったけどたいした残業もしないですんで、まあまあかなって帰れた日。久しぶりのデートも大事な会議も、心浮き立つ出来事も気持ちの沈む出来事もなく、ただ過ぎていった日。

そういう日も、私たちはなにかを食べている。

奥村さんは1968年6月6日について、呆然とこう独白する。

「俺……なんか食ってんだ……」

1968年6月6日は、奥村さんの人生で、なくてはならない日ではない。この日でなくても彼は試験に合格しただろう、バイクも得ただろう、食堂の夫婦と仲良くしただろう。なんの日でもない、6月6日。

けれど、そういう日を積み重ねたその上に、私たちは立っている。思い出せない、無数の(「漬け茄子なんて百個は入ってんだよーーっ」)漬け茄子の上に。

すべてを告白したあとの遠久田は、つぶやくように言う。

「楽しくてうれしくてごはんなんかいらないよって時も 悲しくてせつなくてなんにも食べたくないよって時も どっちも六月六日の続きなんですものね」

「ほとんど覚えてないような、あの茄子の その後の話なんですもんね」

物語のショックからさめ、食べ物から視線をはずすと、さりげなく、しかし執拗に書き込まれているのは、生活のディティールだ。それは最初の一ページから最後の一ページまで明らかだ。特に一ページ目は圧巻だ。カメラは蕎麦屋の前にいる。横長のコマが進むと、カメラも進み、蕎麦屋の自動ドアが開いて店内へ。テーブル席の奥の座敷、背中合わせに座る二人が現れる。そして遠久田のセリフ。「あの ちょっとお尋ねしたいんですが 一九六八年六月六日木曜日 お昼何めしあがりました?」この数コマの間に、はしゃぐ子供、ブビビビビと音を立てながら過ぎるスクーター、老人の杖、不機嫌そうに財布をしまう女、ブーンと音を立てる蕎麦屋の扉、隣の建物の看板、などが緻密に、しかし簡素な線で描かれる。

日常のディティールは瞬時に消えていく。私が一昨々日の晩ご飯を思い出せないように、世界は現れては消え、同じことを繰り返し、やがて完全に失われる。それどころか、私たちの観測していないところで、バッタは跳ね、捨てられたカップは道端に佇み、炊飯器は音を立てる。今この瞬間にも、なにかが起こっている。見えないところで、あるいは見えるところで、無数に。

私たちが積み重ねてきたあの日、積み重ねていくだろうその地層、そこに置き去りにしてきた食べ物、生活、言葉。世界は私が想像するより何億倍も分厚いということ、そしてそこに世界はたしかにあったということを、私たちはこんなふうに思い知らされる。

葉ね文庫に行った話

大阪に住んでいたことがある。

といってもほんの1年前、たった3ヶ月だけだったので、住んだ、というには短い。初めての一人暮らしは、仕事をして勉強してごはんを作って食べて寝て起きているうちに過ぎていった。それなりに楽しく、それなりに寂しい毎日だった。

しかし、まあ、その日ほどつまらない日はなかった。出かけた相手とは話が合わず、行った店はどれも地元に支店があり、買ったものの満足感は低く、唯一おいしく食べたソフトクリームで胃を冷やして具合が悪くなった。ペンダントのチェーンは切れ、夜が更けても何も食べる気がせず、行こうと思っていた店はラブホの奥で諦めた。酔っ払いも私を避けて通った。わたしは生涯一度もナンパされたことがないのが自慢なのだ。

それで、葉ね文庫に寄った。

葉ね文庫は中崎町の本屋さんだ。短歌・俳句・詩の本を中心に、古本もすこし。わたしは何度かその店に行き本を買ったり、そこで紹介してもらったイベントに参加して孤独を癒したりしていた。営業日なら21:30までやっている(2016年7月現在)のもよかった。

その日はたぶん、岡野大嗣『サイレンと犀』を買ったと思う。とにかくなにかいい本を買わないとやってられない、と思ったのだ。

客はたまたま私だけ、店主の池上さんと話しこんでいるうちに、もうすぐ神奈川に帰るのだが、大阪にいるうちについにたこ焼きを食べなかった、という話になった。

池上さんは「えーっ!そんな!なんでですか!」と言って、おすすめのたこ焼き屋さんを教えてくれた。教えてくれるだけでなく、じゃあちょっと、今から食べに行きますか、と言ってくださった。閉店時間はとうに過ぎていた。

雨が降っていた。どういう経緯か忘れたが、結局小さなお好み焼き屋さんに入った。胃の痛みが心配だったが、池上さんが「私ねえ、けっこう食べるので……」というので甘えることにした。言うまでもないがわたしはよく食べる女性が好きだ。

なんの話をしたのかは、実はだいたい忘れてしまった。今日は恋人の誕生日なんですよね、という話をした覚えがある。どういう人ですか、と聞かれて、「自分の弱みを改善しようと努力を重ねた結果、高い能力と高いプライドを身につけた人」と言ったら、真顔で「分かる気がします」と言われた。分かられた。仕事の話、短歌の話、女の子の話もすこしした気がする。胃の痛みは、ねぎ焼きを食べ始めたあたりからほとんどなくなっていた。

「仕事も変わってるかもしれないし、別の人と付き合うかもしれないし、なにがあるか分からないですよ」というようなことを、池上さんは言ったと思う。入社したばかりで、恋人とも家族ともうまくいっていて、でも、そうだよな、と思った。そうだよな、と思うだけで、なにひとつ想像できはしなかったけれど、想像できないだけで、本当にそうなのだ、と、ただ思った。

お会計でわたしが財布を出すと、「出します、だいぶお姉さんなので……」と言ったのですこし笑ってしまった。正確においくつか知らないのだけれど、わたしの人生のなかで、「だいぶお姉さん」の人間と接したことはほぼないと言ってよかった。大学の先輩よりけっこう上、親よりかなり下。

あーわたし、コミュ症治っちゃったな、とその時思った。夜、予定もないのに急に飲みに行くのも、年上の女性とおしゃべりするのも、帰りが遅くなるのを誰に知らせなくてもいいのも、わたしには許されていないことだった。誰が許すって、まあ、自分が許していなかったのだ。大げさな言い方をするなら、その夜は一種のイニシエーションだった。

先日京都に旅行に行き、大阪に宿を取ったので、葉ね文庫に行った。忘れられているかもしれない……と思ったが、池上さんのほうから「お久しぶりです!」と言ってくださったので嬉しかった。葉ね文庫は本がすごく増えていて、あかるく鬱蒼としていて、よかった。

つまらないもので……新幹線のホームで買ったので……と東京ばな奈を差し出したら、池上さんは「うれしい、これ好き」と笑った。言うまでもないがわたしは甘いものが好きな女性が好きだ。

あの夜の直感は外れ、わたしは相変わらずコミュ障で、実家に暮らして恋人と仲良くやっている。

他人の作品が読みたくて、虫武一俊『羽虫群』を買った。また来ますね、と言って店を出て、フランス食堂セルクルに入りたかったがぐずぐずしているうちにラストオーダーになってしまった。やっぱりコミュ障は完治していない。深夜営業のカフェでアルデンテすぎるクリームパスタを食べた。

(大丈夫かどうかはおれが決めていく一年前の飴はにちゃにちゃ 虫武一俊)

女の子かわいい話をまとめた話

ツイッターで女の子かわいい言い過ぎでは、と思ったのでまとめました。

並べると意外と少なかった。

これを見た友人に「結局君の言うかわいい女の子とは中高生だけなのでは」と言われグッ……!図星……!となったのですが、ち、ちげーし!就活スーツの女子も好きだし!と言い返しました。それくらい中高生と就活生の話が多い。

私は就活がほんとうに嫌で、大学の就活セミナーでは話を聞いているだけで涙が出て、なんとか拾ってもらって二年経った今でも就活関係のアカウントを見るやブロックしているのですが、そのぶん就活をがんばっている人たちを見ると「がんばれ!!」という気持ちで胸が詰まります。あとスーツから私服に戻るのとか、スーツなのに私服成分が含まれてるとかめっちゃエモい。

以上です。

祖母の納骨

祖母が亡くなって一年になる。

そのとき私は大阪に住んでいて、訃報はメールで届いた。外部研修を終えて携帯の電源を入れたら、「おばあちゃんが亡くなりました」という母からのメールが届いていた。私は感情の動かしどころを見極められないまま同期と手を振って別れ、しばらく歩き、Uターンしてベンチに座った。会社に電話をかけて、電話に出た上司に開口一番「お疲れさまです、いまよろしいですか、実は祖母が亡くなりまして」と切り出した。上司がお悔やみの言葉を述べ終わるのを待たず「忌引きの規定についてお伺いしたいんですが」と私は言い、思ったより動揺してるな、と自分に呟いた。

何日から何日まで休むか、その間の研修はどうするか、といったことを打ち合わせている途中、ふいに「お祖母さんとは、仲がよかったんですか」と上司は聞いた。私はなにも考えず「いや……むしろ、苦手で……」と言って、あっいまのはそういう意味じゃなくて、と口の中で言い訳し、「でも、可愛がってもらいました」と続けた。

私はだいたいにして、老人というものが苦手だ。耳が遠くて言葉がろくに通じず、価値観が異なりすぎて共通の話題が見つからない。老人を前にすると私はむやみに緊張し、おどおどと相手の顔を伺って微笑むだけの人形と化す。中でも祖母は、いくつかの事情も重なって、苦手意識を取り除くことができなかった。また来てねえと手を触られて、鳥肌が立ったこともある。ひどい孫だ。どうしてそう苦手だったのかここで言うことはしないが、祖母の名誉のために、祖母の人柄がどうこうというわけでなく、私の受け取り方の問題だった、と言っておきたい。

なにが一番苦手だったかというと、会話がうまく成り立たないことだった。耳が遠いこと、独居が長く話し相手が少ないこと、またそれらへの不安が相まってだろう、祖母は大声で途切れなく喋り、相手の反応はわりにどうでもよさそうだった。私が気を使っておどおどと返す言葉は彼女に届かず、届いたとしても「ああそう」と流された。祖母のコミュニケーションの方法と私のコミュニケーションの方法が、あまりにもかけ離れていたのだ。

祖母の家は坂の途中にある。

私が最後に祖母と会ったとき、祖母はその家の中で静かに弱っていた。耳はより遠く、物忘れはよりひどくなり、会話を成立させるのは、少なくとも私には困難だった。母は辛抱強く祖母の話に相槌を打ち、体調を心配していたが、私は部屋の隅で黙って座っているだけだった。

そろそろ帰ろうという段になって、父が「すぐそこにカタクリが生えるところがあるから、ちょっと見てから帰ろう」と言いだした。父はカタクリの花が好きなのだ。祖母は玄関先まで見送りにきて、ふいに気を変えて、あたしも行く、と言い出した。かなり足も弱っていたので、私と母はやんわりと止めたが、カタクリが生えているのはほんとうにすぐそこだったので、結局は一緒に家を出た。

気の早いたんぼぽが咲いていたのを覚えている。父が、ここらのはカントウタンポポのはずなんだが、これはセイヨウタンポポだな、と言いながら花をちぎって捨てた。カタクリはほんの少しだけ咲いていたが、まあ、もともとあまり華やかな花ではない、私はすぐに飽きて写真も撮らなかった。

ふと気がつくと、父は坂を更に20mほど登っていた。なにか見つけたのか、手を振っている。母が小走りでそっちに行ってしまい、私はそれを追いかけるか迷った。祖母が走れるはずはなく、一人にするのも悪い。私は手持ち無沙汰に母の背中を見送った。

「走ってく」

祖母も母を見送りながらつぶやいた。祖母とそんなふうに二人になるのは、ほとんど初めてのことだった。家族なり、親戚なり、祖母の家には必ず誰かがいた。私から祖母に話しかけたことが、一度でもあっただろうか。

春の陽気が戸惑いを和らげた。私は、「最近、ウォーキングをしてるんですよ」と両親を指して言った。「ここ二週間くらい。ちょっと走ったりしてるみたい」と続けて、祖母を見ると、祖母はいつもどおり「あらそう」と私の言葉を受け流した。

「でも、続けないと意味ないからね」

私ははっとして祖母を見た。聞いたことのないくらい落ち着いたトーンだった。祖母はなんてことのないような顔をしている。私が「……そうですねえ」とつまらない返答をすると、両親はまた小走りで坂を下りてきた。

祖母と私が生まれて初めてまともな会話をしたことも知らず、両親は、向こうの方は黄色いのも咲いてた、と言って笑った。私たちは笑い返し、祖母は家に、私と両親は駅へ向かった。

私は通夜の日の昼にのんびり神奈川に帰ってきて、葬式に出て、なにもせずに大阪に戻っていった。祖母が本格的に体調を崩したのは私が大阪に発ってすぐなので、入院のどたばたにも一切関わっていない。親戚の中で一番遠くにいて、一番なにもしない、そういう立場だった。まあ、何を言う権利もなく、言う気もなく、机を拭いたりごみを捨てたり、その程度の雑用をしただけだ。

だから、祖母と最後に会ったあの日のことを思い出すのに、私はすこし罪悪感がある。つらいところを体験せず、いい思い出だけつまみぐいして、なんというか、都合のいいものだと自分で思うからだ。

一周忌を機に納骨をした。祖母の家の敷地の隅にある墓を石屋に開けてもらい、十年以上前に亡くなった祖父の遺骨と顔を合わせた。祖母の遺骨はその横に、寄り添うように納められた。

石屋はTシャツの裾をだらしなくジャージに突っ込み、タオルで鉢巻をして、手を合わせることもなくさっさと墓を閉めた。経をのべる私たちに構うことなくガスバーナーで線香の束に火をつけて配り歩き、気がついたらいなくなっていた。叔母は渋い顔をしていたし、私も、祖母が見たら嫌な顔をするだろうな、と思ったが、すこし愉快だった。

檸檬の木が墓の側にぬっと生えて、葉をぴかぴか光らせていた。いとこが、これから蝶の幼虫が付くんだよ、と眉を寄せた。

『春の雪』を読んだ話

この1ヶ月に3件記事を書いたが全部自己顕示欲の塊だったので捨てた。

放置されたブログというのはけっこう悲しい光景なので、最近読んだ本の話をします。

たぶん高校生くらいのころからずっと親に三島由紀夫を勧められていたんだけど、先日初めて読んだ。

三島由紀夫についてはぼんやりした知識しかなく、あの……右翼で……割腹して死んだ人?というくらいで、作品名もろくに挙げられなかった。今調べたら以外と最近の人で驚いたくらいだ。歴史上の人物だと思ってた。

読んだのは豊穣の海第1巻『春の雪』と第2巻『奔馬』。作品全体の仕掛けとして、1巻の主人公の死後次の巻の主人公に生まれ変わり、さらにその死後は次へ、ということになっている。4巻構成だから、あと2回の転生が待っているわけだ。

あのー、こんなことを私がわざわざ言う必要はどこにもないんだけど、ものすごく面白い。文章全体に気迫が漲っている。死を決めた三島が「究極の小説」として書いたとのこと、迫力がないわけはないが、いや、めちゃくちゃ面白いです。

友人と「女子力の高いレストランでランチをしよう」ということになって、気合を入れた服・メイクで挑んだのに、鞄の中にこれが入っていたので自分の限界を感じた。友人に見せたらあまりに色気のない表紙に「せめて新装版とかにして!!」と言われたが、これが一番新しい版なんですよね。えへへ。デートときのの3倍くらい時間をかけた化粧で読む三島由紀夫。でもよくないですか、恋に全てを捧げて死ぬ話だしぃ。清顕、最強の恋愛脳では。

最寄駅に着きそうなのでこれで終わります。

【SS】親知らず

「持って帰られますか?」
 わたしはぎょっとして顔を上げた。歯科医の顔はマスクに隠されて、表情が読み取れない。驚いたのを隠そうとにへらと笑った私を見て、歯科医はわたしの親知らずをつまみ上げ、「ちょっと待ってくださいね」と作業台に向かった。わたしがなにも言えずにその背中を見守っているあいだ、遠くから救急車のサイレンが聞こえていた。一度、風が窓にぶつかって大きな音を立てた。夜には大雨になるという予報だ。
 サイレンが完全に消えた頃、歯科医は振り返って私に小瓶を手渡した。小学生がビーズを詰めるような、観光地で星の砂を詰めて売っているような、ごく小さな小瓶には、きれいに洗われたわたしの親知らずが入っていた。コルクの栓の周りに、ほそいリボンが巻いてある。
「お母さんにお見せするといいですよ」
 歯医者の表情は相変わらず読めなかったが、どうやら本気のようだった。わたしはガーゼを噛み締めたまま、どうともとれる反応を返した。「乳歯が抜けたら、見せたでしょう。きっと感動しますよ」と歯科医は続けて、今度はマスク越しにもわかる笑みを浮かべた。
 今日はアルバイトの女性がいないらしく、歯科医は私を先導して待合室まで行き、えーっと、と呟きながら領収書を用意した。灰色の待合室には、漫画や雑誌の入ったマガジンラックのほかに色はない。壁に貼られた「ただしいはみがき」のポスターも、十年単位の時間を経てうすく灰色に染まっている。わたしはマガジンラックの中の絵本に目を向けて、すこし懐かしい気持ちになった。目前に迫った治療から目を背けるために、対象年齢をとうにすぎた絵本をめくったのは、中学生のころだったか。幼稚園のころから通っているのに、目の前でお金を数える歯科医は、ひとつも年をとったように見えない。
「これは抗生物質です、飲みきってくださいね。こちらは痛み止め」と薬の袋を差し出して、歯科医はふとわたしの顔を見つめた。
 わたしはその目を見つめ返しながら、母もここに通っていたはずだ、ととつぜん気づいた。
 この街に引っ越してきて二十年、母がべつの歯医者に行っていたはずがない。わたしが二十年通った歯医者は、母が二十年通った歯医者なのだ。
 歯科医がわたしを見ていたほんの一秒のあいだに、そんなことがわたしの脳裏をかけめぐった。そして、言わねばならない、と思って、口を開きかけた。しかしなんと言っていいのかわからないうちに、その一秒は過ぎた。
「お大事にどうぞ」
「ありがとうございます」
 外に出ても、視界は灰色のままだった。強い風が吹き付けて、どこからか飛ばされてきた葉っぱがのたうっている。厚い雲を見上げて、わたしは足を速めた。
 手の内にまだ親知らずの瓶があった。わたしの右上の親知らずは、まっすぐ素直に生えてきて、手のうまく届かないところで静かに病み、少しだけ痛みを訴えたころ、すぐに抜かれた。歯科医が大きな器具を取り出してから、ガーゼを詰めるまで、二十秒ほどしかかからなかった。
 ごうごうと吹く風に逆らうように、わたしはバス停へ向かった。
 母のいる病院は、バスで十五分ほどのところにある。
 わたしはバスの一番うしろの席に座り、窓に頭をもたせかけた。スマホを取り出してツイッターを見ると、誰かが、今日の月食は見られなさそうだ、と言っていた。わたしは意味なく空を見上げた。空の色はさっきより濃い色に変わっていた。
 母の病気が分かったのは、一ヶ月前だった。なにがなんだかわからないほどたくさんの検査を受けて病名がついたとき、医師はなにやら自慢げにその名前を言ったので、なにも心配はないような気持ちになった。しかし、当たり前のことだけれど、それは始まりにすぎなかった。手術の日取りと時間が、今日正式に決まるはずだ。
 母の友人や、わたしの恋人は、わたしの手を取って励ました。あなたがしっかりしなければいけない、と彼らは言った。わたしも、ほんとうにその通りだ、と思った。母を安心させて、こまごまとしたことの一切を引き受けて、母が余計なことに気を回さなくて済むようにしたつもりだけれど、母はむしろ、余計なことに気を回していたいようだった。それが母を安心させるならと、わたしはむしろ身を引いて、ただ母の話し相手になった。
 わたしは病院前よりひとつ前の停留所でバスを降りた。
 そうだ、母はおととい、月食のニュースの話をしていた。月食の時期を言い当てることは、暦を知ることだ。日本では江戸時代から、月食や日食の日にちをけっこう正確に計算していたそうだ。でも、もしそんな暦なんてなかったら、月なんてわざわざ見上げないわね、と母は言った。たとえば曇っていて、その雲の奥で月食が起きていても、私たちはそれを知る術はない。知る術がなければ、惜しいとも思わない。
 わたしは病院に向かって歩きながら、少しだけ手が震えるのを感じた。あの歯科医は、母が病気なことを知らないのだ、と思った。雲の向こうのことを、知る術はないのだ。あのとき、母はしばらく来られないんですと、わたしは言えなかった。それどころか、母はいずれ食事も取れなくなって、母の歯は永遠にその役目を終えるのかも知れないのだ。
 わたしはぎゅっと目をつぶって、開けた。濃い灰色の大気の奥に、病院の門が見えてきた。きっと感動しますよ、という歯科医の声がよみがえり、わたしは鞄の持ち手を握りしめたまま、左手で前髪を直した。

 

六さんは月食があるという日の夕方、古い歯医者の待合室であのことを言えなかった話をしてください。
#さみしいなにかをかく
https://shindanmaker.com/595943

 

(先日はじめて親知らずを抜きました。急に「持って帰られますか?」と言われたのでちょっとウケた旨を周囲に言ったところ、「問答無用で持って帰らせられた」「持って帰りたかったけど粉々になったので無理だった」「親に見せなさいねと言われた」などの体験談が寄せられて、びっくりした。持って帰ってどうするんですか? 私の親知らずはすべてたいへん素直に生えているので、のこりの3本は抜かなくてすむようにしたいところです。)

惚気話が好きな話

ツイッターのリストはあんまり使っていないのだけど、一つだけ「す」という非公開リストを作ってある。

「す」きなひとの話をするアカウント、である。

恋人や片思い相手の話を多くするアカウントのリストで、これを私は1日に5回ほど覗いている。見も知らぬどころか、共通の知り合いも一人もいない、たまたま見かけた人たちだ。どうだ気持ち悪いだろう。

惚気話をむちゃくちゃに憎んでいる人というのもこの世にはいて、まあその気持ちも結構分かるのだけど、私は惚気話が好きだ。

いや、好きな惚気と嫌いな惚気がある。嫌いな惚気を見るとしばらく気分が悪いけれど、良い惚気を見るとそんなことは忘れてしまう。

好きな惚気の共通点は以下の通りである。

①淡々としていること。ただし、淡々としすぎていないこと。

②他者の視線を意識していること。ただし、他者の視線を意識しすぎていないこと。

好きな惚気話の例とすれば、ちろ(@megazaru)さんですね。「眠くなる前に話したいことがあと3つあって」、買いました。よかった。

http://togetter.com/li/378451

togetterにまとまってるので、読んでみてください。淡々としつつ淡々としすぎない、他者の目を意識した読みやすい文章なのに一緒にいる静かで個人的な喜びが伝わってくる。

これは「恋人」さんがかなり面白いタイプなんですけど、そうでなくてもよい。

わたしの「す」リストに入れていたひとが、「洗濯物たたむとき、ここは肌着、ここはタオル、みたいに山ができるじゃないですか。私がやると5つくらいの山ができるんですけど、恋人がやると山が16個くらいになってて、かわいくて、愛しくて、泣いた」というようなことを言っていて、それがとても印象に残っている。

恋は盲目とよく言うけれど、ほんとうは逆で、ものすごく目がよくなってしまうんじゃないかなと時々思う。すごく細かいことや、どうでもいいこともしっかり見えて、その良さを過剰に感じることができる。なんでそんな男と付き合ってるの、という女の子の話を聞いていると、すごく小さいけれど大事なエピソードがぽろっと出てくることがあって、私はそれを聞くのがけっこう好きだ。

私の日常には良さは少なく、毎日電車で押しつぶされたり、虫歯の穴を気にして食事をしたりしている。でもその中で、恋をして目がよくなった人たちの書く言葉は、日常に溶けて淡々としているけれど、恋だからとても熱い。

恋人同士という密室の中で起こることを、少しだけ覗かせてもらう。そこには、目の悪い私では気付かないような、小さなきらめきがある。

「はぁ。好き。」なんてつまらないこと言ってないで、もっとほんとのことを教えてほしい。何が好きなの、何が好きじゃないの、何が愛しくて、どこが嫌いなの。イルミネーションの写真なんていいから、訳わかんない萌えを聞かせてよ。二人だけの遊び、二人の間でしか通じない言葉を、こっそりでいいから聞かせてほしい。別れちゃったらツイート全部消して、次の恋で別のアカウント作りなおしたっていいから。