読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

好きなことの話

好きなことの話をします

【SS】親知らず

「持って帰られますか?」
 わたしはぎょっとして顔を上げた。歯科医の顔はマスクに隠されて、表情が読み取れない。驚いたのを隠そうとにへらと笑った私を見て、歯科医はわたしの親知らずをつまみ上げ、「ちょっと待ってくださいね」と作業台に向かった。わたしがなにも言えずにその背中を見守っているあいだ、遠くから救急車のサイレンが聞こえていた。一度、風が窓にぶつかって大きな音を立てた。夜には大雨になるという予報だ。
 サイレンが完全に消えた頃、歯科医は振り返って私に小瓶を手渡した。小学生がビーズを詰めるような、観光地で星の砂を詰めて売っているような、ごく小さな小瓶には、きれいに洗われたわたしの親知らずが入っていた。コルクの栓の周りに、ほそいリボンが巻いてある。
「お母さんにお見せするといいですよ」
 歯医者の表情は相変わらず読めなかったが、どうやら本気のようだった。わたしはガーゼを噛み締めたまま、どうともとれる反応を返した。「乳歯が抜けたら、見せたでしょう。きっと感動しますよ」と歯科医は続けて、今度はマスク越しにもわかる笑みを浮かべた。
 今日はアルバイトの女性がいないらしく、歯科医は私を先導して待合室まで行き、えーっと、と呟きながら領収書を用意した。灰色の待合室には、漫画や雑誌の入ったマガジンラックのほかに色はない。壁に貼られた「ただしいはみがき」のポスターも、十年単位の時間を経てうすく灰色に染まっている。わたしはマガジンラックの中の絵本に目を向けて、すこし懐かしい気持ちになった。目前に迫った治療から目を背けるために、対象年齢をとうにすぎた絵本をめくったのは、中学生のころだったか。幼稚園のころから通っているのに、目の前でお金を数える歯科医は、ひとつも年をとったように見えない。
「これは抗生物質です、飲みきってくださいね。こちらは痛み止め」と薬の袋を差し出して、歯科医はふとわたしの顔を見つめた。
 わたしはその目を見つめ返しながら、母もここに通っていたはずだ、ととつぜん気づいた。
 この街に引っ越してきて二十年、母がべつの歯医者に行っていたはずがない。わたしが二十年通った歯医者は、母が二十年通った歯医者なのだ。
 歯科医がわたしを見ていたほんの一秒のあいだに、そんなことがわたしの脳裏をかけめぐった。そして、言わねばならない、と思って、口を開きかけた。しかしなんと言っていいのかわからないうちに、その一秒は過ぎた。
「お大事にどうぞ」
「ありがとうございます」
 外に出ても、視界は灰色のままだった。強い風が吹き付けて、どこからか飛ばされてきた葉っぱがのたうっている。厚い雲を見上げて、わたしは足を速めた。
 手の内にまだ親知らずの瓶があった。わたしの右上の親知らずは、まっすぐ素直に生えてきて、手のうまく届かないところで静かに病み、少しだけ痛みを訴えたころ、すぐに抜かれた。歯科医が大きな器具を取り出してから、ガーゼを詰めるまで、二十秒ほどしかかからなかった。
 ごうごうと吹く風に逆らうように、わたしはバス停へ向かった。
 母のいる病院は、バスで十五分ほどのところにある。
 わたしはバスの一番うしろの席に座り、窓に頭をもたせかけた。スマホを取り出してツイッターを見ると、誰かが、今日の月食は見られなさそうだ、と言っていた。わたしは意味なく空を見上げた。空の色はさっきより濃い色に変わっていた。
 母の病気が分かったのは、一ヶ月前だった。なにがなんだかわからないほどたくさんの検査を受けて病名がついたとき、医師はなにやら自慢げにその名前を言ったので、なにも心配はないような気持ちになった。しかし、当たり前のことだけれど、それは始まりにすぎなかった。手術の日取りと時間が、今日正式に決まるはずだ。
 母の友人や、わたしの恋人は、わたしの手を取って励ました。あなたがしっかりしなければいけない、と彼らは言った。わたしも、ほんとうにその通りだ、と思った。母を安心させて、こまごまとしたことの一切を引き受けて、母が余計なことに気を回さなくて済むようにしたつもりだけれど、母はむしろ、余計なことに気を回していたいようだった。それが母を安心させるならと、わたしはむしろ身を引いて、ただ母の話し相手になった。
 わたしは病院前よりひとつ前の停留所でバスを降りた。
 そうだ、母はおととい、月食のニュースの話をしていた。月食の時期を言い当てることは、暦を知ることだ。日本では江戸時代から、月食や日食の日にちをけっこう正確に計算していたそうだ。でも、もしそんな暦なんてなかったら、月なんてわざわざ見上げないわね、と母は言った。たとえば曇っていて、その雲の奥で月食が起きていても、私たちはそれを知る術はない。知る術がなければ、惜しいとも思わない。
 わたしは病院に向かって歩きながら、少しだけ手が震えるのを感じた。あの歯科医は、母が病気なことを知らないのだ、と思った。雲の向こうのことを、知る術はないのだ。あのとき、母はしばらく来られないんですと、わたしは言えなかった。それどころか、母はいずれ食事も取れなくなって、母の歯は永遠にその役目を終えるのかも知れないのだ。
 わたしはぎゅっと目をつぶって、開けた。濃い灰色の大気の奥に、病院の門が見えてきた。きっと感動しますよ、という歯科医の声がよみがえり、わたしは鞄の持ち手を握りしめたまま、左手で前髪を直した。

 

六さんは月食があるという日の夕方、古い歯医者の待合室であのことを言えなかった話をしてください。
#さみしいなにかをかく
https://shindanmaker.com/595943

 

(先日はじめて親知らずを抜きました。急に「持って帰られますか?」と言われたのでちょっとウケた旨を周囲に言ったところ、「問答無用で持って帰らせられた」「持って帰りたかったけど粉々になったので無理だった」「親に見せなさいねと言われた」などの体験談が寄せられて、びっくりした。持って帰ってどうするんですか? 私の親知らずはすべてたいへん素直に生えているので、のこりの3本は抜かなくてすむようにしたいところです。)

惚気話が好きな話

ツイッターのリストはあんまり使っていないのだけど、一つだけ「す」という非公開リストを作ってある。

「す」きなひとの話をするアカウント、である。

恋人や片思い相手の話を多くするアカウントのリストで、これを私は1日に5回ほど覗いている。見も知らぬどころか、共通の知り合いも一人もいない、たまたま見かけた人たちだ。どうだ気持ち悪いだろう。

惚気話をむちゃくちゃに憎んでいる人というのもこの世にはいて、まあその気持ちも結構分かるのだけど、私は惚気話が好きだ。

いや、好きな惚気と嫌いな惚気がある。嫌いな惚気を見るとしばらく気分が悪いけれど、良い惚気を見るとそんなことは忘れてしまう。

好きな惚気の共通点は以下の通りである。

①淡々としていること。ただし、淡々としすぎていないこと。

②他者の視線を意識していること。ただし、他者の視線を意識しすぎていないこと。

好きな惚気話の例とすれば、ちろ(@megazaru)さんですね。「眠くなる前に話したいことがあと3つあって」、買いました。よかった。

http://togetter.com/li/378451

togetterにまとまってるので、読んでみてください。淡々としつつ淡々としすぎない、他者の目を意識した読みやすい文章なのに一緒にいる静かで個人的な喜びが伝わってくる。

これは「恋人」さんがかなり面白いタイプなんですけど、そうでなくてもよい。

わたしの「す」リストに入れていたひとが、「洗濯物たたむとき、ここは肌着、ここはタオル、みたいに山ができるじゃないですか。私がやると5つくらいの山ができるんですけど、恋人がやると山が16個くらいになってて、かわいくて、愛しくて、泣いた」というようなことを言っていて、それがとても印象に残っている。

恋は盲目とよく言うけれど、ほんとうは逆で、ものすごく目がよくなってしまうんじゃないかなと時々思う。すごく細かいことや、どうでもいいこともしっかり見えて、その良さを過剰に感じることができる。なんでそんな男と付き合ってるの、という女の子の話を聞いていると、すごく小さいけれど大事なエピソードがぽろっと出てくることがあって、私はそれを聞くのがけっこう好きだ。

私の日常には良さは少なく、毎日電車で押しつぶされたり、虫歯の穴を気にして食事をしたりしている。でもその中で、恋をして目がよくなった人たちの書く言葉は、日常に溶けて淡々としているけれど、恋だからとても熱い。

恋人同士という密室の中で起こることを、少しだけ覗かせてもらう。そこには、目の悪い私では気付かないような、小さなきらめきがある。

「はぁ。好き。」なんてつまらないこと言ってないで、もっとほんとのことを教えてほしい。何が好きなの、何が好きじゃないの、何が愛しくて、どこが嫌いなの。イルミネーションの写真なんていいから、訳わかんない萌えを聞かせてよ。二人だけの遊び、二人の間でしか通じない言葉を、こっそりでいいから聞かせてほしい。別れちゃったらツイート全部消して、次の恋で別のアカウント作りなおしたっていいから。

【SS】便所飯

 便所飯というのは、想像するほどなまやさしいものではない。
 便座に腰かけ、短く息を吐く。しっかりと閉めていた鞄からサンドイッチを取り出して膝の上に置いてから、音姫のスイッチを押す。大学の音姫は音も安っぽく小さく、あまり機能を果たさないが、音を流しているということに意味がある。
「……え、この間の話はどうなったの?」
 外から女の子の声が聞こえてきた。順番待ちだろうか。大事なのは、人が待っているからといって慌てて食べて出ようとしたりしないこと。長居しているのを悟られないために、とことん長居すること。
「彼女、やっぱりいるみたい」
「大学のひと?」
「わかんない、水口くん、あんまり言いたくないみたい」
 三つ並んだサンドイッチの中から、まずハムを選ぶ。カサカサ音がしないようにゆっくりと取り出し、前歯で噛みちぎる。レタスの音がしないように、舌の上にきちんと収めてから咀嚼する。マーガリンとハムが口の中で滑り、パンがしんなりして上あごにくっついた。
「でもそれであきらめるつもりもない」
 左隣の個室が空いて、誰かが代わりに入ってきた。隣の音姫に紛れて、もう一口。その間も、会話は続いている。
「……あきらめ……うーん」
「あきらめないほうがいいよ。彼女いるのにデート断らないって、やっぱ、彼女とうまくいってないとか、そういうんじゃない? 大丈夫だって」
 右隣の個室も空いたが、だれも入ってこなかった。二人は脇の、全身鏡の前で話しているのだろう。化粧を直す無防備な姿を想像しながら、卵に移行する。口に含むと、はみ出した卵が指についたので、それも舐めとる。黄身のぱさぱさした甘味を舌先で感じながら飲み下す。
「ありがとう。とりあえず、もっかい誘ってみる」
「そうしなそうしな。チャンス逃さないようにね」
「ねえ、瑠希は武田くんとはどうなの?」
「へへー、こないだ半年記念でしたー」
「うわあ、いいなあ、もう。いつ見てもすごい仲良さそうだもんね」
 ぱちん、と音がした。ファンデーションのふたか何かを閉じたのだろう、ジッパーの音が続いて、「じゃあね」「じゃねー」と声が続く。左隣も空いて、個室にいるのは私一人になった。最後のツナサンドを、ゆっくりかみしめる。まずい油が舌の裏に忍び込んで口の中を侵した。ハムサンドを最後にするんだったな、と思いながら、ツナをばらけさせないようにあまり噛まずに飲み込んでいく。
「……もしもし? 水口?」
 アドバイスをしていたほうの声だ。
「あのさ、もう会わないから。別れよう。っていうのも変だけど」
 ツナサンドから油のにおいがする。固い感触がのどを滑り落ちる。
「で、彼女と別れたいんだったらさっさとしな。あんた今チャンスだから。……武田? 武田がどうしたの? ……別れないよ何言ってんの。……うん。もう会いません、それだけ。彼女と別れなっていうのは、私の勝手なアドバイス。……そう。はい。じゃあね。今までありがとう」
 パッケージを丁寧にたたんで、ごみばこではなく鞄に入れる。捨てるのを忘れないようにしないと、と思いながら、足音が去っていくのを聞く。
 午後の紅茶はレモンティーが一番おいしい。
 甘味を口中にいきわたらせて油を取り去ってから、舌で丸めるように飲み込むと、べたべたしない甘さが口の中に余った。冷たさが気持ちいい。
 完全に人がいなくなったのを確認してから、立ち上がってセンサーに手をかざす。水の無駄遣いを見送ってから、スカートのすそを直して個室を出た。
 手を洗うと、自分の顔は自分でないようだった。
 おざなりに手を乾かして、携帯を取り出す。瑠希から「いまどこー? リアペもう配ってるからとっといたよ*\(^0^)/*」というラインが来ていた。「いまいく! ありがと!」と返信して、既読がついたのを見てから、アドレス帳を開く。だれかに見られても大丈夫なように「水口くん」とだけ登録した番号を押して、耳をつける。
 だれにも見られないようにごみを捨てなくては。
 便所飯はなまやさしいものではないから。
「康太くん? あのね、今日の夜って空いてる? 会いたくなっちゃった」

 

 

 

(5/1文学フリマ東京にて無料頒布)

機械が好きな話

「わたしの2/4拍子(ルンバ)」を読んだ。

ツイッターではまなかさん(@hmnk)が連投した、わたしとルンバをめぐる物語の書籍版だ。新宿眼科画廊で開催中の内田ユイさん個展(http://www.gankagarou.com/sche/2016/201604uchidayui.html)と5/5のコミティアで買える。コミティアで売り切れるのを恐れて、私は新宿まで行って買った。三丁目のカフェで読んだ。泣いた。隣のカップルが完全に不審そうにしていたので、鼻をすんすん言わせてなんとか耐えた。

どのよう話なのかについては、こちらのまとめを参照していただきたい。

わたしの2/4拍子(ルンバ) - Togetterまとめ http://togetter.com/li/958641

これをさらにパワーアップさせた感じだった。長くすることでつまらなくなることもあるなと心配していたのだけど、杞憂だった。とっても面白くて切なくて、良かったです。

わたしたちはなぜルンバが好きなのだろう。

数ヶ月前、廃棄物処理場で働いている友人が、まだ動くルンバが捨てられているのを見たという。ゴミの山の中で動く捨てルンバ。私はすでに胸をつまらせていたが、友人は「おまえ掃除機だろ、そらいけ!ってゴミの山に突っ込ませたけど、ふつうにゴーッと処理されていって笑った」と続けた。私はショックを受け、ほんとうに悲しくなってしまい、しばらく不機嫌だった。友人はなぜ私が不機嫌になったのか分からず、不審そうにしていた。

「ルンバかわいいじゃん……」

「えっ、べつに」

「ルンバはかわいいでしょ」

「ルンバかわいいと思ったことない」

「ルンバかわいいと思ったことない!? 人間の心がないの!?」

「にん……あるよ! 心は!」

「えっ、待って待って、R2-D2はかわいいよね?」

R2-D2はかわいいけどルンバはべつに、特別なにか感じたことない」

人非人!!」

「ええ!?」

本当か確かめようはないが、サポートに「ルンバを修理してくれ」という意味で「直してあげて」と言うひとが多いという話を聞く。

家電でありながら、自分で判断して動く。ものを言わずに淡々と働きつつも、その動きがコミカルでかわいらしい。たまに段差にひっかかる姿に、おっちょこちょいさを感じる。わたしたちはルンバの働く姿にーー働く、という言葉がすでにしめしているようにーーただの家電の動き以上のものを見出している。

個人的なことを言えば、私は機械に感情移入しすぎる。高校のとき、いつも持ち歩いていた電子辞書(名前はイトイくん)を壊してしまったときは一晩泣き通した。部室にあった音響機器(名前はポンちゃん)の調子が悪い時は、音響担当と「君ならできる!大丈夫だよ、できるよ、がんばって!」と励ました。家にある扇風機の名前は「キャサリン」と「若林」だ。

ルンバのーールンバにかぎらず機械たちの動きは、プログラミングされた、あるいは設計されたとおりの動きにすぎず、そこに意思は(おそらく)ない(とされている)。わたしたちはそこに意思を見出してーー言い換えれば、意思を創造している。そう見えることとそうあることを混同して、愛を感じている。

でも、そもそも、他人がほんとうに意思を持っているかなんて分からない。人格だって現象だ。だとすれば、ルンバの意思を読み取って、愛しく思ったり悲しくなったりすることに、どんな不合理性があるだろう。

ちなみに我が家にルンバはいない。いつか迎えたいと思っていたのだが、「わたしとルンバ」を読んだら自信がなくなってしまった。いつか、ルンバとのたのしい暮らしが、いつかくる別れよりずっと大きいとこころから思えたら、家に迎えたいと思う。

この話とはまったく関係ないのですが、明日は文学フリマです。かわいい本になりました。よろしくお願いしますね。

黒猫が好きな話

黒猫の名前はコロといった。

まだ生まれたばかりのコロを、近所の子供たちがボールがわりに放り投げていたところを祖母が発見し、これこれやめなさいと浦島太郎よろしく止めて、そのまま引き取ってきた。コロコロしているからコロ、安直ながらかわいい名前を貰った雌猫は、目つきと愛想の悪い、鳴かない猫に育った。若い頃はパトロールに出かけては喧嘩をし、トカゲを取ってきては見せびらかす、血気盛んな猫だったという。

だったいう、というのは、私の記憶のなかで、コロは最初から最後までおばあちゃん猫だったからだ。コロは私よりも年上で、私がコロに近づけてもらうようになるころにはコロはすっかり大人、私が10歳の時点でコロは11歳、すでに老年期に入っていた。

とはいえ、コロは十分に元気だった。床から食器棚へ、食器棚から冷蔵庫へ上っていくコロの姿は、何度見ても飽きなかった。祖父の趣味の木工作品が並ぶ玄関に座って置物のふりをしては、玄関が開くのを待ってパトロールに出かけ、縁側から帰ってきた。命の危機を助けて貰った祖母よりも、乱暴に扱う祖父のほうが好きらしく、見ていて不安になるほど強めに尻を叩かれても、祖父の隣で眠った。

キャットフードしか食べないのがよかったのか、コロは長生きした。祖父母の家に行くたびに、コロちゃん長生きしてね、と囁いたとおり、コロは22まで生きた。晩年は痩せて白内障で目が曇っていたが、何度も危ない山を超えた。

祖父の一周忌からしばらく経ったある朝、コロは自分の足でベッドから降りて居間へいき、少しだけごはんを食べて、丸くなった。苦しまない、立派な最期だったという。

祖母がこのあいだ、「そこらにいるのよう、コロそっくりの猫が」と言っていた。黄色い目の、しっぽの短い黒猫が、近所の酒屋で世話をされているという。コロの親戚だろう。

人の家の猫や、触らせてくれる野良猫を撫でるたび、去り際に、○○ちゃん長生きしてね、と囁いている。会ったことのないコロの親戚に会うことができたら、やっぱりそう言ってあげたい。どの猫も、どの猫も、私の言葉を完全に無視して、無感動に目をつぶるだけなのだけれど。

f:id:rikka_6:20160417165559j:plain

愛してる.comが好きな話(あるいは女の子が好きな話パート2)

まずはこのPVを見てください。

大森靖子「愛してる.com」MusicClip

歌詞はこちら。

http://sp.uta-net.com/search/kashi.php?TID=202647

いかなる感想をお持ちになったでしょうか。

思い出してほしいのですが私は女の子が好きです。

 

rikka-6.hatenablog.com

 

かわいい女の子が出てきてつぎつぎ「愛してるよ」と言ってくれるこのPVが嫌いなわけがありません。会社行くのいやだなー、という日はこれを聞いて気合をいれています。1番の「calling calling」あたりで「あいしてるよーー!!」と叫ぶ子が最推しです。名前も知らないけど。

 

女の子が好き、というとき、少しだけ罪悪感がある。その罪悪感の源が何なのか、このPVについて思うことを整理すると分かるかなと思うので、書きます。

 

私は言葉の無力を信じている。これについては話すと長くなるので、一万回愛してると言うより、抱きしめるほうが感情が伝わる、みたいなことを想定してください。

加えて、「愛してる」という言葉は冷笑を浴びがちだ。夏目漱石がI love youを「月が綺麗ですね」と訳したという逸話がこんなに人気なのは、「愛してる」では伝わらない何ががあると一般的に考えられているからだと思う。

しかし彼女たちは「愛してるよ」とだけしか言わない。

そしてその言い方も、だいたい何パターンかに分けられる。「愛してるよ❤️」とかわいく小首を傾げる、(あいしてるよ)と小声でささやく、「愛してるよ!!」と叫ぶ、などだ。口の横に手を添えるポーズも頻出する。

 

話は変わるが、「自撮り」という言葉がある。見たことありますね。かわいかったりかわいくなかったりする女の子たちがインカメラで自分を撮る。自分の一番かわいい角度で納得いくまで撮り直し、「めっちゃ盛れた〜!」や「ほんとに自分の顔嫌い。。」などのコメントを付けてSNSにアップする。

このPVも、ほぼ全てが自撮りであることに気づかれたと思う。

自撮りを批判する意見として「いっつも同じ角度」という言葉が聞かれる。他の角度ではかわいくないんだろ、とか、全部同じ顔に見えて個性がない、などの批判的意図が感じられる。

PVでも同じ角度からの自撮りが次々映るシーンがある。おそらく意図的なものだ。

同じ角度でしか写真に写らない女の子たち。

 

サビの歌詞をもう一度見てほしい。

 

君のオススメに面白いものはひとつもなかった

 

私はこの歌詞を聞き取ったとき、あまりの痛烈さに息を呑んだ。

私が主にいる界隈では――創作とか、サブカルとかだ――「おまえつまんないな」というのはかなりキツい言葉だ。

きみの「愛してるよ」の言い方に面白いものはひとつもなかった。きみの自撮りの角度に斬新なものもひとつもなかった。きみたちは絶世の美女ではなく、平凡な化粧をしたり白飛びさせすぎて顔が真っ白になったり、べつにぜんぜん、かわいくない。個性的じゃない。

平凡な女の子たち。

 

女の子は愚かであることを愛される、とこの間書いた。平凡であることを愛される、と言ってもいい。ナンバーワンじゃなくてもオンリーワンじゃなくても、その平凡さや、その平凡さに気付かない純粋さが愛される。

でもそれは、女の子たちをなんにも分かってないバカって言うのとおんなじなんじゃないか。上から目線なんじゃないか。愚かでかわいいって、人間を人間として扱ってないってことじゃないのか。いとしいなんて、言っていいんだろうか。

 

でも、この曲も、このPVも、disではぜんぜんない。

歌詞はこんなふうに続く。

 

君のオススメに面白いものはひとつもなかった

それでもついていきたいと思った 楽しい日曜日

君の落書きに斬新なものもひとつもなかった

それでもなんか笑える毎日 逆に新しい

 

どんなに平凡でも、つまらなくても、それでもきみが好き。

通勤中サビにさしかかるたびに、「それって、それって、愛じゃん!!!!」と思う。

きみが平凡であることは、きみのかわいさを何も阻害しない。きみが愚かであること、きみが大量生産的であることは、私の気持ちの信憑性を損なうものではない。

愛しているのは愚かさそのものじゃなくて、平凡であることは関係なくて、それらはきみのかわいさの、一側面でしかない。

 

このPV、たとえば「有名アイドル50人が愛してるよと次々言う」というものだったら、ぜんぜん意味が違ったと思う。彼女たちは決して、みんな名前を知ってる、みたいな人たちではない(私は水野しずくらいしか知らなかった)。このPVに出てくる女の子たちのうち2人は、私の大学の同級生にめちゃくちゃ似ている。

かわいいけれど、美少女じゃない女の子たち。それは私の隣や、地球の裏側にいる、あらゆる女の子たちの象徴だ。

平凡でも、かわいくなくても、カラコンで不自然な黒目になってても、きみが好きだよと、なるべく胸を張って言いたい。だってかわいいんです。

村上春樹が好きな話

以下は私が「村上春樹が好きです」と言ったときの相手の反応一覧です。

・「えー、なんていうやつが好きなんですかー?」

・「やっぱノルウェイの森?」

・「私村上春樹嫌いなんですよね」

・「やれやれ(笑)」

・「……なんで?」

だいたいこのどれかに分類される。

上二つは主に普段本を読まない人から寄せられるのでまあいい。「おすすめどれ?」と聞かれることもまあまああるんだけど、その後「読んだよ〜」と言われることはまずない。でも「ハナレイ・ベイ」はほんとうにいいので読んでほしい。短編です。

さて下三つだが、私はこの反応に怒れない。ジョジョ好きの友人に「やれやれ(笑)」と言われたときは「お前承太郎さんdisってんの?」と問い詰めたが、それ以外はおおむね「ですよね」という反応を返す。

私は中学生のころに村上春樹作品と出会ったが、これが大学生の時に出会っていたのだったら、「やれやれ笑」と言っていただろうと容易に想像がつくからだ。好きだけど、なんで好きなのかな、と自問自答してしまう、そういう「好き」だ。

やれやれ。

そういう感情を抱いている作家はほかにも複数人いる。具体的に言うと、西尾維新舞城王太郎である。この三人に関しては、私は「ダメ男に引っかかった女の子の気持ち」を抱いていると言うと通りが良い。

「もう、なんでこんなやつ好きになっちゃったんだろ……」。これです。

ただ、最近はこの三人とも新刊を追いかけられていない。ダメ男から離れ、自立の道を進もうとしているのかもしれない。でも「淵の王」は買おうと思っているし、人類最強シリーズを読みたくてそわそわしている。村上春樹はそろそろ短編集とか出してほしい。そして「やっぱり……好き!」と思わせてほしい。「やっぱり……好き!」と言いたいがために何度でも恋人と喧嘩してしまう女の子のように、私は好きな作家のdisを見ては、「なんで好きになっちゃったんだろ……」とつぶやいている。disなんて読まずに、まっすぐ好きになればいいのにね。友達に恋愛相談すると、すぐ「別れなよ〜」って言われるの辛いくせにね。「でも、彼のいいところはわたししか知らないんだ……」ってお前、そんなわけないだろ、三人ともベストセラー作家だぞ。目を覚ませ。

ちなみに私を村上春樹関係で怒らせるには、村上春樹を真似た文体でなにか書けばよい。ツイッターとかによく村上春樹disのために村上春樹の真似をする人がいるのだが、6割くらいはまったく似ていない。disるならちゃんとdisれ。でなければハナレイ・ベイを読め。お願いします。

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女