好きなことの話

好きなことの話をします

文学フリマ東京に出る話

忘れていたけど、ブログを始めたのは文フリの告知がしたいからだった。告知します。

第二十二回文学フリマ東京

開催日:2016年5月1日(日)11:00~17:00

会場:東京流通センター 第一展示場(東京モノレール流通センター駅」徒歩2分)

ブース:シ-15

サークル名:浅川 六

webカタログ→https://c.bunfree.net/c/tokyo22/5070

試し読み→http://estar.jp/.pc/work/novel/24021514/%E9%81%A0%E8%B7%9D%E9%9B%A2%E5%8F%8B%E6%84%9B_%E9%81%A0%E8%B7%9D%E9%9B%A2%E5%8F%8B%E6%84%9B?_ck_=1

文学フリマというのは、うーん、コミケみたいなやつです。二次創作はあんまりない。みんな好き勝手本をつくって好き勝手売っています。

私は短編集を作って持っていきます。作って持っていけるのかな。不安になってきた。持っていく予定です。持っていけなかったらあめちゃんを机の上に並べて6時間座ってます。

女の子に関する短編です。タイトルも決まらないうちから、帯文だけ決めました。

女の子に生まれて本当によかったVS女の子になんて生まれるんじゃなかった

そのうちこちらでも小説公開します。よろしくね。

言葉が好きな話

女の子が好きな話を書いたらけっこう反応があって照れたので、元ネタというか、影響されたものがあるよという話を書きます。これです。

はらだ 有彩 - ”【第1話 日本のヤバい女の子】” http://apartment-home.net/column/201502-201503/%e3%80%90%e7%ac%ac1%e8%a9%b1-%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%83%a4%e3%83%90%e3%81%84%e5%a5%b3%e3%81%ae%e5%ad%90%e3%80%91/

「日本のヤバい女の子」をテーマに、女性が登場する民話を紹介する連載です。はりーさんの文章を読んでいると、私の「女の子が好き」という気持ちがたいへん薄っぺらいものに思えてきます。読むと私が影響をモロに受けているのがわかると思う。恥ずかしいので読まないでほしい。いや、めちゃくちゃ良いので読んでください。全部読んでください。私の一番好きな回はこれです。

はらだ 有彩 - ”7月/距離とヤバい女の子” http://apartment-home.net/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%83%a4%e3%83%90%e3%81%84%e5%a5%b3%e3%81%ae%e5%ad%90/7%e6%9c%88%ef%bc%8f%e8%b7%9d%e9%9b%a2%e3%81%a8%e3%83%a4%e3%83%90%e3%81%84%e5%a5%b3%e3%81%ae%e5%ad%90/

ヤバくてかわいくて強い女の子たちのことをみなさんにもっと知ってほしいです。エモいぞ。

最近すぐに「エモい」って言ってしまう。

俗語ですね。意味はなにかというと、

[1] エモいとは助平(スケベ)な人を意味する『エロ(又はエロい)』と気持ち悪いという意味の俗語『キモい』の合成語で、気持ち悪いほどエロい、気持ち悪いエロといった感じでエロいが強調された言葉である。

……あれ……あ、こっちじゃないほうです。

[2] エモいとは感情・感動といった意味の英語“emotion(エモーション)”を略したものに形容詞化する接尾語『い』をつけたもので、なんとなく寂しい気持ちや悲しい気持ちを表すコギャル語である。エモいは当初こちらの意味で使われ始めたが、現在こちらの意味での使用は少ない。

http://zokugo-dict.com/04e/emoi.htm

…………こ、コギャル語。コギャル語だったのか……コギャルってなんでしたっけね。

どちらかといえば後者の意味に近いんだけどちょっと違っていて、「プラスともマイナスともつかない感情をかきたてられる」みたいな意味で使っている。あ、はてなキーワードにはこう書いてある。

感情が高ぶった様子を表す、「スゴい」「ヤバい」の上の言葉。感激・感動を意味する英語「emotion」を文字ったもの。

はてなキーワード - エモい http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A8%A5%E2%A4%A4

こういう感じです。

私はこういうことを調べるのが好きだ。俗語・新語に限らず、適当に使っている言葉の意味や語源をすぐ調べる。高校のころは「歩く電子辞書」と呼ばれていた。歩く辞書と言えるほどの知識量はないことを示す微妙なあだ名ですね。ただの電子辞書を持ち歩く人だ。

大学は文芸サークルに入っていたので、日本語にうるさい人というのが身の回りにときどきいた。新語や俗語を使うと嫌がったり、「全然大丈夫です」という言い方に「全然というのは否定の言葉としか使わない」と食ってかかったりする。私も後輩の文章の校正中、真っ赤になるまで書き込みをして嫌がられたことが何度かある。

でも、すべての言葉は新語だったころがある。そのことを考えると、私はかなりエモい気持ちになる。千年前に遡れば「をかし」だって新語だった。「ときめく」の意味だって今とは違っていた。言葉が生まれて死んで腐ってバカにされて大切にされて、その結果として、今ここの日本語がある。

後輩が最近「どぎゃる」という言葉を使う。「エモい」とおおむね同じ意味のようだ。多大な萌えを感じたときや、共感できる歌詞の曲を聴いて感情が高ぶったときなどに使うらしい。応用して「どぎゃりみの極み」などとも言っている。

私はその言葉が生まれ、彼女たちの間で流行るのをツイッター越しに見ていた。ほんの二三人の間でしか通じない言葉だし、そのうちその言葉を作ったことすら忘れてしまうだろう。バカに見えますか、でも、日本語はこうやってできてきたのだ。ほら、エモくないですか。

女の子が好きな話

女の子が好き、と私が言うとき、思い出す女の子が二人いる。

一人は高校の同級生で、演劇をしたり映画に出たり写真のモデルをしたりしている。色が白くて姿勢が良く、二重をテープで作っている。私が彼女を知った15歳のときから9年、彼女は髪を切って二重になってまつ毛を倍の長さにしてニーハイを履くのをやめた。9年前の彼女と似た女子高生を見つけると、この子が、ああなる、と感慨深い気持ちになる。彼女はその顔を自ら選び取った。本人は、自分のすっぴんはチャン・カワイに似ているというけれど、それがいったいなんだろうか。彼女が選び、作り上げたその人生に比べたら。

もう一人とは二度しか会ったことがない。一度目は新宿のカフェでケーキを食べながら就活の話をし、二度目は嵐山のカフェでケーキを食べながら元恋人の話を聞いた。二度目のとき、空になった皿を前に沈黙が降りて、私は口を開こうと彼女を見たが、彼女は私を見ていなかった。元恋人のことを考えているのだとすぐ分かった。元恋人は東京にいて、だから(「だから」とは彼女は言わなかったが)これから探す就職先はとにかく東京にしようと思うのだと、彼女は言った。別れ際、改札越しに、また東京でねえ、と叫んで手を振った。

私は女の子が好きだ。女の子たちが笑ったり恋をしたり喧嘩したり策略を巡らせたりしているのが好きだ。たぶん男の子も笑ったり恋をしたりしているんだと思うけれど、よく知らないのでなかなか好きになれない。

この気持ちはどこから来るのだろう。

ところで私はバカが嫌いだ。この人ー、もしかしてー、バカなのかなー、と思うやいなや心のシャッターががしゃーんと下りる。御察しの通り私はバカなのですけど、バカはバカを見つける嗅覚が鋭いのでよりバカを発見してしまい、疲れる。バカに優しくなりてえ、そして優しくされてえ、と思う。

さて、元恋人を追いかけて東京にやってきた彼女をバカと言う人もいるかもしれない。あるいは彼氏にすらカラコンを外した顔を見せない彼女をバカと思う人もいるかもしれない。不便だし。お泊まりのときどうしてるんですか?

でも、かわいいじゃん。

そうです。再び御察しの通りかと思いますが、私はこれだけで押し通そうとしています。かわいいじゃん。女の子。

愚かであることを許される時期というのはあっても、愛される時期は少ない。大体の場合バカは嫌われる。でも、多少バカでも筋が通ってなくても不便でも、女の子の目指す方向に向かう、その姿が、私には愛しい。

だって無理じゃないですか、つけまつげもアイプチもしてるのに、デートからお風呂からベッドから次の日の朝まで同じ顔でいること。でも彼女はやりとげる。そのパワーを私はとても、とても尊敬している。それをバカの一言で片付けるなんて、お前のほうが100倍バカだ。かわいくもないくせに。

私は女の子が好きだ。どうか全員幸せになってほしい。いつか女の子をやめる日が来ても、その人の女の子時代が人生をかわいく輝かしく彩ることを私は願っているし、私なんかが願わなくても勝手にそうなるということ、そのパワーこそを、私は愛している。