好きなことの話

好きなことの話をします

2023年の話

○やったこと


・旅行


 ゴールデンウィークに青森、夏休みに富山に行った。いずれも一人。


 一人になるために一人旅をするんだなということが分かってきた。旅先での人との交流とかここでしか見られないものとかではなく、一人で判断して歩くことだけが目的であるっぽい。一人で歩くのにいい場所があれば教えてください。
 


・小説


 ムーンライトノベルズで長編を完結させた。ムーンライトノベルズとは小説家になろうのうち女性向けR18作品を投稿するサイトである。書き始めたのは去年の夏で、今年3月に一旦完結、番外編をだらだら書いている。


 エロというか恋愛ものも初挑戦だし長いのも久しぶりだし、正直かなり楽しかった。あとめちゃくちゃアクセス数がつきますね……普段書いてるのはアクセス数多くて100とかなんだけどいま見たら2万超えてた。めちゃ弱小なのには代わりないんですけどね。


 でも初めてR18回を投稿したときは世界が怖すぎて布団の中で泣きました。情緒。

 あと多少掌編をやった。

 ほぼ準永遠さんのせいで書いたやつだな。


 
・友達が増えた


 フォロワーのフォロワーとして知り合った人と、もくりで同席したり麻雀をしたりしているうちに相互フォローになった。そして実際に会ってお酒を飲んだり散歩したりした。


 お互いの葬式は多分行けないが捨てるドラ牌きらきら光る


 これはフォロワーのフォロワーだったころの短歌。


お互いの通夜もこうなりゃ行くのかも夜の川面がぎらぎら光る!!


 これは仲良くなってからの短歌。重くね?

・ピクニック
 

一回目は友達の子供(1歳)がいて遊んでもらった。まだ言葉が通じないからなあと思っていたが、ペットボトルを叩いて音をだしているのに「おっ上手だね」と言ったら嬉しそうにバンバン!バンバン!とやり続けたので、あ、通じてはいるのか……と思った。


 二回目は高校の友達と新宿御苑へ。なかなか集合場所とかが決まらなくて、みんな乗り気じゃないのかな……と思いかけた時誰かが「新宿御苑でピクニックにする?」と言い、その瞬間全員「いいじゃん!」と言って話がまとまり、よかった。保育士の子がでかいシャボン玉を持ってきて子供にめちゃくちゃモテていた。我々ではああはいかない。



・サーモンラン


 Splatoon3のサーモンランばかりしていた。本当にアクションゲームが下手なのだが、今年はなんとか野良ででんせつに上がれるようになった。時々転がり落ちる。


 
・みんはや


 「みんなで早押しクイズ」というアプリ。人に勧められてやったところかなり楽しく、勧めてくれた人に「まだやってるんですか!?」と言われた。そうなんです。


 自分でクイズを作れるモードがあり、これもなかなか楽しい。来年はそっちをやりたいな。
 


 

○できなかったこと・不十分だったこと



・BL


 BLを嗜まない方の女オタクとして長年過ごしてきたのだが、塚本邦雄の短歌を読んでいるうちに「やってみたら行けるのでは?」という気持ちになってきた。が、うまくいかなかった。自分の中のミサンドリーと向き合うはめになってつらかったのでもうちょっと向き合った方がいい気がする。でもまた今度。



・引っ越し


 2月ごろ、交際男性と一緒に住むぞという話になって家も申し込んでいたのたが審査で落ちた。そのあとお互いの事情もあり決めきれなかった。一緒に暮らしたことのないまま交際11年となった。この件についてのアドバイスはもう大丈夫です!!!!


 
・仕事


 リモートワークも3年目、集中力の維持が課題です。スマホを窓から捨てろ!

眼鏡をかけた子供だった話

(2021年に書いたままメモ帳の中に埋もれていた文章が出てきたので載せる。)

 

「ディズニーの新しいやつさあ、眼鏡の女の子がヒロインで、たぶん多様性というか眼鏡のヒロインもいいじゃない的な意図だと思うんだけど、それはいい試みだなと思うんだけど、それはそれとしてわたしの中の子供時代のわたしが『絶対に嫌』って泣いてるんだよね」と言いながら本当に泣いているのに気づいてびっくりした。普通に話してるつもりだったのに。
 わたしは4歳から眼鏡をかけている。生まれつき乱視があったのだ。目が悪いことが分かるまで、「飛行機だよ」と指差しても「クリオネだよ」と指差しても「どこ?」「どれ?」と聞き返すわたしを、ちょっとぼんやりしている子なのかなあ、と母は思っていたそうだ。乱視の子供のための高価な眼鏡をかけ、それをめちゃくちゃに扱って傷だらけにし、コンタクトを拒否して育った。成長と矯正でやや視力はよくなったものの、今は両目とも0.1ないくらい。幸いなことに近視はそこまで悪くならず、家族4人の中で裸眼視力は1番いいくらいだ。相変わらずコンタクトを拒否し、2本の眼鏡を服装に応じて使い分けている。
 自分が眼鏡であることを気にしたことは一度もない、と思っていたのだが、泣いたことで色々と思い出した。
 小中学校までは揶揄われた。メガネ、ガリ勉、目が四つ、とか(しかし目が四つってどういう意味だ?)。男の子と喧嘩になって眼鏡をむしり取られたこともあるが、大抵の場合「それ5万円だよ」と言うとすぐ返してくれた。大人も「それはすごく高いからいたずらしたらだめ」みたいなことを言っていた覚えがある。今思うといたずらしちゃだめな理由は「高いから」ではないだろ。
 ずっと眼鏡なので、「外してみて」と言われて外したら爆笑が巻き起こったこともある。外した途端すーっと目が細く小さくなったのが面白かった、とのことだった。乱視の眼鏡は近視のそれとは逆で、眼鏡の向こうは大きく見えるのである。
 中学校では孤立していて、たまにカーストの高い子たちに絡まれた。
「眼鏡外してよ」
「外したけど」
「外したら急に人格変わるんでしょ、オラァってブチ切れるんでしょ」そういう漫画かなにかがあったらしい。
「変わらないよ……」
「キレてんの?」
「別に」
「『キレてないですよぉ』って言うんだよ」
「なんで?」
 芸人のネタらしいということは分かったが知らないふりをした。
「なんでも」
「怒ってないよ」
「眼鏡投げ捨ててオラァって言うんだよ」
「やだよ」
 高校に入ってふと見渡したら、裸眼率はかなり低くなっていた。小学生のころは眼鏡をかけているのは学年に数人だったが、高校ではクラスに何人もいたし、コンタクトの人も少なくなかった。気づいた時は呆然とした。
 じゃああれはなんだったんだ?
 なんでもない。理由とかはない。世界の理不尽さに理屈とかはない。

 

 誤謬が起きている。
 "世界"というものを、わたしは、一人の架空の人物のように感じている。
 かつてその人物はわたしを揶揄い、鼻で笑い、小突き回した。それと同じ口で今は、眼鏡の女の子も美しく尊重されるべき存在だと言っている。
 先に謝れよ。
 綺麗事より先に言うことがあるだろうが。お前のことだよ。謝ってから、償ってから言えよ。子供のわたしは泣いて暴れてそう言う。
 しかし世界は一人の人物ではない。ディズニーが眼鏡のヒロインを出したことは、世界が少しずつ良くなっていることのあらわれであって、手のひら返しではない。大人のわたしはそう宥めるが、宥めながらわたしも泣いている。


参考: 
HUFFPOST 眼鏡のディズニーヒロイン誕生。かつて9歳の女の子は「眼鏡キャラはオタクと呼ばれ、不公平だ」と訴えた
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_61a816b0e4b0451e5510c3c7

富山に行った話(でもない)

 この2023年になっても、女性が一人旅をすると言うと「失恋?」と尋ねてくる無礼者がいる。本当にいるのである。

 

 無理せずできる範囲の仕事をし、無理せずできる範囲の趣味をしている。会社員として降ってきた仕事をこなす。アニメや漫画から受け取ったものについて書く。

 すなわち、やろうと決めなくてもできることをやっている。

 

 フォスフォフィライト:できることしかできないよ

 アンタークチサイト:できることしかやらないからだ

 フォスフォフィライト:できることならせいいっぱいやるよ

 アンタークチサイト:できることしかできないままだな

市川春子宝石の国3巻より)

 

 旅行をするためには、まず、仕事を調整して休みを取らねばならない。「休みます」と言わねばならない。宿と交通手段を予約しなければならない。行きたいところについて下調べしなければならない。

 やると決めてやらなければできないこと。

 ある種の人々にとってはこれは非常に簡単な、あるいは自然な、あるいは喜ばしいことであるだろう。同時にある種の人々にとっては非常に困難な、あるいは不可能な、あるいは避けたいことであるだろう。

 私はその中間といったところだ。一人旅をする理由のひとつは、やろうと決めてやること、できることとできないことの間をやることの練習。そう言っても、女性一人旅失恋、とまっすぐ口に出すような人は半笑いで聞くばかりだろうけれども。

 

 黒部峡谷トロッコ列車に乗った。窓がない車両で、かなり揺れるので、何かの弾みでぽんと投げ出されそうで怖かった。途中で同じ車両の人がみな降りてしまったので、轟音の中で大声で歌った。お土産屋さんの自動販売機にお札が入らなかったが職員さんが忙しそうで声をかけられなかった。

 発電所美術館に行った。井口雄介「ANEMOI」、自転車のような機構を漕ぐことで数メートルの建造物を動かすことができる作品。こういうインスタレーションはなるべく触った方がよかろうと思って、乗せてもらった。ぜえはあ言いながら休憩していると、見ていた若い二人組が近寄ってきて、私が漕いでいるところの動画をAirDropで送ってくれた。

 富山駅から路面電車に乗った。路面電車というものに初めて乗ったので非常に楽しかった。ある停留所で、家族連れ、私、おじいさんの順に降りた。狭い停留所で、前の家族連れがなぜか前進しなかったので、追い越そうと道路に降りて気がついた。停留所は道路の真ん中にある。ちょうど横断歩道に接する形になっている。横断歩道が青にならないとこの停留所から出ることはできないのだ。横断歩道が見え、かつ、家族連れが驚いたようにこちらを見るのでようやくそれに気づき、戻った。そして道路と思って何気なく降りていたのが路面電車のレールと同じ高さであること、つまり路面電車の邪魔にもなっていたことにも気がついた。恥ずかしかったが、何食わぬ顔で信号を待ち、渡った。しばらく気持ちが落ち込んだ。

 路面電車で海のそばまで行った。歩いて行くと思ったより遠くて、日差しが強くて、日陰が全然なくて、自分は一体何をやっているのか……という気持ちになる。海水浴場の敷地に入るとスニーカーは砂に取られ、長いスカートを持ち上げながら、えっちらおっちら歩いて行くと、防風林の合間から広い海が見える。鎌倉の海とは違う、まっすぐで静かな水平線と長い長い砂浜、断続的に続くテトラポッド。サンダルを持ってくればよかったなと思いながら指先を浸し、日陰に入って海を見ながら座る。誰からも何の考えからも離れて、「海を見ながら座る」というだけの状態になる。気分がよくもなく、悪くもなく、水平線と同じ高さになった。

 帰りの新幹線の時間を勘違いしていて、2時間時間が余った。Googleマップにピンを立てておいたところが残り二箇所あり、どちらかしか取れそうになかったので、サイコロを振って(Googleに振ってもらって)カフェの方に行くことにした。その日の朝行ったばかりの公園の横な上、さっき乗ってきた路面電車で途中下車すればもう少し近かったのだが、そういう不合理な徒歩が発生するのも旅行っぽいと思った。ジャスミンミルクティーがおいしくて、全身から集めたみたいなため息が出た。

 帰りの新幹線で、隣に座った女性がとても寒そうにしていた。喪服姿だったので、小さなカバンに上着が入らなかったのだろう、タオルを腕にかけて冷房の風を避けていた。少し迷ったが、「寒いですね」と声をかけ、使いますか、とトロッコ列車で羽織ったパーカーを差し出してみた。すこし雑談した。私が知らない人に自分から話しかけるのは、ほんとうにほんとうに稀なことである。これについてはそのうち別に書く。

 

 私にできることは、私にできることでしかない。ここでやったことは私にできないことではなかったので、できた。できないことをできるようにしているわけではなくて、箱の内側から壁を触ってみるように、できることの輪郭を確かめている。あるいはぶつかったことのある壁がもう取り除かれていることを確かめるように。

レベル3のセルフネイル

はじめに

 爪の形が悪い。子供の頃から爪と指を噛む癖があったためと思われる。

 が、ここ数年、セルフネイルの習慣ができて以来少しはましになってきた。「ふつう」の爪を0としハンドモデルを100とするなら、マイナス80だったのがマイナス20くらいにはなったと思う。かなりの進歩であり、誇りたい。

 とはいえ今でも以下のようなコンプレックスがある。

  • 爪が横長で、先端の白い部分の面積が広い

  • 爪のピンクの部分と白い部分の境界線(オレンジライン)がガタガタ

  • 表面に縦筋が入っている(加齢と言われるが、子供の頃からそうなので乾燥だと思う)

  • 爪全体が薄くて撓みやすい、割れやすい

  • 爪の先端の白い部分に半透明な部分と不透明な部分が混在しており汚い印象

  • 爪の側面が細く割れて指の肉の中に埋没しているところがあり、たまに痛む

  • 指の関節が目立つ

  • 指の毛穴が目立つ

  • ストレスを感じると指を噛んでしまうので一部の指の側面にタコがある

 また、結構不器用で、最初からネイルがうまく塗れたわけではなかった。どのくらい不器用かというと、高校の頃折り鶴を折っていたら友人に「お前の鶴なんでそんなかわいそうなの?」と言われたくらいである。

 そういう自分が塗り方で分かってきたことや、爪が上記のような状態のときどうすると見栄えが良くなるか、といった、低レベルな知見が溜まってきた。人様に誇れるようなものではなく、大半の人は「そんなん知ってるよ/想像つくよ」と思うようなことかもしれないが、「ネイル 初心者」「短爪 ネイル」で検索してブチギレている諸氏には、ひょっとしたら何かの役に立つかもしれない。

 そういうわけでこの記事はレベル3のセルフネイルである。誰かの何かの役に立てば嬉しいし、立たなくても「自分、がんばってきたな〜」と思う記録としたい。

 書くまでもないことだが念のため書いておく。爪はべつにきれいでなくてよい。爪がつやつやしていたり色がついていたりするとちょっと嬉しいだけで、他人に好印象を与えるためでも、身だしなみのためでもない(それならまず爪や指を噛むのをやめろという話だし)。

 きれいに塗れたら自分が嬉しくて、家族や友達に見てもらって、次の日にはもう欠けていて、それでおしまい。砂場に城を作っては壊すような趣味である。インスタグラムにあるような美しく凝った城でなくても、なんの役にも立たなくても、私の城だ。

うまく塗るコツ

サマリー

  • なるべく新しいマニキュアを使う。粘度が高くなってしまったものは潔く捨てる。またはうすめ液を使う。

     

  • なるべく「塗りやすい」と評判のものを使う。

     

  • 液を筆にたっぷりつけ、片面だけを扱いて反対の面のみに液がしっかりついている状態にする。これができないほど量が少なくなったら潔く捨てる。またはうすめ液を使う。

詳細

なるべく新しいマニキュアを使う

 開封してから時間が経つと、どうしても水分が飛んで粘度が高くなってしまう。開けたてと同じサラッとした状態の液を使うことでうまく塗りやすくなる。ここでいう「うまく」とは、塗りムラや表面のざらつきがない状態を指す。はみ出ることはここでは取り扱わない。はみ出た分は綿棒で拭き取れば良いからだ。

 サラッとした状態だと、多少のムラがあっても自然と表面が落ち着いてくれる。水彩絵の具を水で溶いた場合とそのまま使った場合、どちらが塗りやすいか想像してほしい。

 毎回蓋をしっかり閉め、閉めるネジのところにマニキュアが付着したらこまめに拭き取る、などの対応で劣化を遅くすることができる。しかし、私はいい加減な上ケチなので、うっかり粘度が高くなってしまうこと、そしてそれを捨てられずにズルズル使ってしまうことがある。するとクオリティが低くなり、悲しい気持ちになる。

 そうした場合、薄め液を使うという手もある。が、私はあまりやったことがない。面倒だから。

なるべく「塗りやすい」と評判のものを使う

 マニキュアそのものの粘度や筆の形状は製品によって異なる。最初からまあまあ濃い感じのテクスチャのものもあれば、水のようにサラッとしているものもある。筆の密度が少なすぎるものもあれば、塗りやすいようにカットされているものもある。

 高いからといって塗りやすいとは限らない。ご存知の通り化粧品というのはイメージ商売で、どこにコストをかけるかはメーカーやブランドの方針によるのである。初めは口コミ等を見て塗りやすいものを探そう。

 

液を筆にたっぷりつけ、片面だけを扱いて反対の面のみに液がしっかりついている状態にする。これができないほど量が少なくなったら潔く捨てる。

 急にノウハウっぽいことを言う。

  1. まず、液を筆にたっぷりつける。
  2. 筆は大抵平たい形をしている。片面だけを瓶の口でしごき、筆が露出するくらいにする。
  3. 反対の面から液がこぼれそうなくらいついていたら、少しだけ瓶の口に触れさせて調整する。筆の片面だけに・たっぷり・しかしこぼれ落ちない程度につける、ということが大事。
  4. この状態で爪を1枚塗る。たっぷりついている面を爪の根本につけ、爪の先までためらわずまっすぐに塗る。右半分左半分真ん中、の順で筆を動かし、最後の一回は多すぎた液を取るイメージ。なるべく34回以内に塗り切り、原則マニキュアを足さないほうがよい。もし爪を1枚塗り終わっても「3.」と同じくらいの見た目であればもう1枚塗っても良い。

 

 このように塗ると、塗りと塗りの間が自然とつながるのがわかるはずだ。そうならない(掠れる、表面がつながらないなど)場合は、液が少なすぎるか粘度が高まっている。新しいか・塗りやすいものか・筆へのつき方が正しいかを再度チェックしよう。逆にムラや液の溜まりができてしまった場合は、筆につける量が多すぎるかもしれない。

 

 よくある失敗例として、筆につく液の量が一定になっていないことがある。大抵の場合、瓶の中の液の量が少なくなっているためである。

 一般的なマニキュアの瓶の形状だと、液が減ってくると筆につかなくなる。蓋を閉めて瓶ごと振ると筆にたっぷりつけることができ、延命できる。それでもつかなくなったら薄め液を使うか、潔く諦めて新しいものを買うかしたほうがよい。

 

 ということで、うまく塗れるかどうかはマニキュア液の状態によるところが大きい。新しいか(粘度が低いか、液の量が適切か)は特に重要なので、「先週はうまくできたのに今週はできない……」と落ち込まなくてよい。

 私としては、だめになったものを捨てるのはやはり心に負担がかかるので、あんまり高いものはもう買いたくない。ukaとか2200円しますからね。2000円のもの捨てるの勇気いる。excel1000円くらい。500円以内でしかも近所のドラッグストアで買える、キャンメイクちふれ、ネイルホリックが中心になる。

 とはいえ高いネイルは色やコンセプトが凝っていて楽しいので、そのうちまた買ってしまうかもしれない。ネイルエスのラメぎっしりのやつとか欲しいよな。

マニキュアは爪の保護に役に立つか?

 子供の頃から爪を噛む癖があり、今も100%直ってはいない。そのせいか爪が非常に薄く、割れやすかった。

 マニキュアを塗る習慣ができて以降、爪の厚さはあきらかに改善した。クリアファイルくらいだったのが、炭酸用のペットボトルくらいにはなっている。

 また、以前はすぐ深爪になってしまっていたのが、伸ばせるようになってきた。それにともない爪の形も縦長になり、ピンクの面積も増えた。ビフォーアフター写真を撮っていなかったのが悔やまれるくらいだ。

 理由は以下だと思う。

・マニキュアはまずい。まずいものが口に触れるのは嫌なので爪を噛まなくなるため

・爪がきれいだと嬉しいので、爪を保護しようとという気持ちが出てくるため

・コストが頭をよぎる(お金を出し手間をかけて整えたものをすぐにだめにはしたくない)ので爪を保護しようという気持ちが出てくるため

・その延長線でネイルオイルを導入したため

・マニキュアが爪の厚さを補い、撓んで割れるのを防ぐため。特に表面の層だけ割れるのを防げる

 マニキュアの中には保湿を謳っているものもあり、それも良かったかもしれない。わからない。

 

 マニキュア自体が爪の保護にどれだけ役立っているかはわからない。上記はあくまで私の場合である。私のように成人しても爪噛みがやめられない人には効果があるかもしれない。ないかもしれない。

 ネイルオイルについては後述する。

塗りっぱなしにしたい

 一般的に、セルフでのマニキュアは27日くらいが寿命らしい。が、私の場合、2日持つことはまずない。夜寝る前に塗って、次の日お風呂に入ったら終了である。爪先を使わないように気をつけても、ベースコートトップコートを塗っても、頭を洗う時はシャンプーブラシを使っても、無理なもんは無理。どこかは欠ける。

 しかし、自分のテンションを上げ爪を保護するためだけに、毎晩毎晩毎晩毎晩爪を塗り直すなんてことが可能だろうか?否。欠けるとはいってもほとんどが残っているのにわざわざ落として塗り直す根性があるだろうか?否。欠けても欠けっぱなしで5日くらいは持たせたい!

 そうした場合に塗っているのが塗ってる感のないネイル。中でもおすすめはキャンメイクファンデーションカラーズである。

https://www.canmake.com/item/detail/111

 私のお気に入りは01ナチュラルピンク。「血色感をプラスするシアーなピンク」との売り文句どおり、まるでもともと血色がいい人の自爪かのような色になる。これがめっちゃいい。

 これなら塗ってる感もなく、かつ綺麗に見えて、かつ爪先が多少欠けても気にならないのである。本当にえらい。カラーネイルだとそうはいかない。ハードルを下げる意味でも初心者はまずこれを買うといいと思います。

(ここに塗りたての写真と数日後の写真を載せようと思ったがまだ撮ってません)

 他人の手元なんてそんなにまじまじ見ないでしょ、ということで、先端部が欠けたまま仕事とか行っている。友達と会うとか強くなりたい大事な用事の時とかは塗り直す。

 ちなみに、初めはuka color base coat zero2/0を使っていてとても良かったし2回くらいはリピしたのだが、なにぶん高くて……2200円。売り場も限られている)。でも高いだけあって本当に塗りやすいし匂いも気にならないので、一回くらい試してみるといいと思います。誰でも合う色だと思う。

 最近は母が買って色が合わなかったというキャンメイクファンデーションネイルズ04ペールピンクもよく塗っている。いわゆるオフィスネイルらしい色で、手がすごく綺麗に見える。私はオレンジライン(爪のピンクの部分と先端の白い部分の境界線)がガタガタで色も悪い、という部分が気になるので、そこが軽減されるのもよい。

爪の保護のためにやったこと・やらなかったこと

 「爪 伸ばす」「爪の形 改善」とかでググると必ずと言っていいほど「爪を使わない」というキーワードが出てくる。

 でも爪を使わないの……無理じゃない?ペットボトルのラベル取るのは? シール剥がすのは? 爪使わないで生活するの無理ですよ、すべてをやってくれる人がいるならともかく、こちとら庶民お嬢様なのですわ〜!

 そういうわけで何も気にしていない。代わりにそれなりにやったのは、保湿と爪切りである。

 ネイルオイル(私はマニキュアのような容器に入って筆で塗るやつが楽)を爪と指の間にたっぷり塗り、爪の側面に流れるままにしたあと、爪の側面〜生え際に擦り込む。デスクの横に置いておき、暇なweb打ち合わせ中とかムカつくことがあったときとか、一日に何回か塗る。

 爪って死んだ細胞のはずなので、どうしてこれが良いのかはよくわからない。しかし保湿していると明らかに調子がいいので、あまり考えずにやっている。爪と指の間の白っぽくくっついているところをハイポニキウムと呼び、そこを保湿してやることでピンクの部分が増える……らしいが……よくわからない。

 たぶんハンドクリームでもいいのだろうと思うのだが、良いハンドクリームに巡り会えておらずなかなか習慣づかない。肌もそうだが、保湿はとにかく高頻度・長期間やる必要がある(らしい)。

 また、爪の切り方も見直した。爪切りは爪が痛むので避け、爪やすりで長さを調節するとよいらしい。たしかに爪切りでばちんとやるたびに爪が撓んでるなとは思う。以前は爪がクリアファイルくらいの薄さだったので気にならなかった。

 といっても私は面倒なので2回に1回は爪切りで切ってしまう。どちらでやるにしても、まず横にまっすぐ長さを整え、左右の角を断ち落とす、スクエアオフという形を目指している。これが一番割れづらい……気がする。

 爪やすりは「魔法の爪けずり」を使っている。昔つづ井さんが良いと言ってたので買った。楽ちんだしゴミが飛ばなくてよいが、私のやり方がよくないのか、爪の薄い層が最後に残ってしまうのはどうしたらいいのかよくわからないまま。

https://matsumoto-kanagata.net/item/products/kiranaitsumekiri.html

その他、ギャラリー

 縦筋が目立つ感じに光っちゃうのでちゃんとベースコート塗った方がいい。ちふれネイルエナメル102


 キャンメイクカラフルネイルズN71ムラサキイモ、N29ミルクシロップ。爪楊枝でぐるぐる混ぜた。コツは多めに乗せること。マーブルは粘度が高くなってしまったものでも使いやすい。


 キャンメイクカラフルネイルズN71ムラサキイモ、ネイルホリックGD046、ネイルホリックマットトップコート。細いラインは、筆ではなく指を動かして塗ると良い。これをやると、爪先の塗りが多少欠けてもラインだけ塗り直せばいいので、3日くらいは持つ。
 N71はすごく気に入っていてよく使う。


 足の爪は派手な色の方がいい。


 excelネイルポリッシュNL06ドライフラワー。友達の結婚式のとき。

 

 

青森に行った話

ゴールデンウィークには青森に行くことにする。青森のことを何も知らない。

青森県立美術館には奈良美智の「あおもり犬」という彫刻がある。青森県立美術館は建築が面白いものことでそれを見てみたかった。それ以上の行きたいところ等は特にない。弘前の桜まつりは有名だそうだが今年は開花が早く、お祭りが始まる前に満開になってしまったとのこと。ゴールデンウィークには当然葉桜だ。

 

・旅行の三日ほど前、フォロワーとの通話中うっかり「新幹線の中でワンライでもするか……」と言って言質を取られる。

・「六さんが泊まるホテルを当てよう」と言って、「一人だし泊まるところにそんなにこだわりはないはずだからビジネスホテル」「駅近を重視するのでは?」「アパホテルは社長の顔があちこちに印刷してあって嫌」「あ、このホテル朝食会場から海が見えるのいいね」と的確な推測をされた末に正解されてへんな笑いが出る。理解がすごい。

 

・新幹線の30分以上前に東京駅に着く。前日新幹線の改札が激混みで通るだけで15分かかったと聞いていたのだが、待たずに入れた。

・新幹線のeチケを初めて使う。ICカードを事前登録しておくと改札を通れる……?本当か……?とドキドキしながら通る。ふつうに通れる。

・新幹線は格好いいなあ。

・しかし、自由席がない新幹線って、万一指定席買って便を逃したらどうしたらいいんだろう?あと、うっかり乗り過ごしたらどういう扱いになるんだろう?

 

・タクシーで青森県立美術館へ。タクシーの運転手さんはおそらく私の声をほとんど聞き取れていない。濃いピンクの八重桜がたくさん咲いている。

・めっちゃ並んでる……と思ったら庵野秀明展の列の模様。先にご飯を食べて八角堂(森の子)とあおもり犬を見る。どちらも思ったよりかなり愛らしい。あおもり犬に尻尾があるか確かめるために後ろに回ったが、そもそも後ろ足がなく上半身だけを地面からぬっと出しているかたちなので、よくわからない、とりあえず描写はされてない、ということがわかった。

・丘の上に建ってるのかな?構造がよく分からないが、丘を削り取った内側や高い壁が聳える通路や狭い階段を歩き回り、なにやら遺跡の中を歩いているような気持ち。というか、ICOとかワンダとかそういうタイプのゲームの中っぽい……制作スペースらしき巨大な空き地とか、なにかがいた痕跡という感じ。広いのに見通しが悪いので、角の向こうではしゃいでいた子供が突然現れた(ように見える)私を見てスン……となる、という場面に3回くらい遭遇する。

・もう遺跡の方に行っちゃおうかな……とも思ったが、観念して列に並ぶ。ちいかわのラッコ師匠も「迷ったら並べ、地面を見ながら半歩ずつ前に出れば気がついた時には順番が来てる」って言ってたし……

・地面じゃなくてウィキペディアK2を交互に読みながら進む。庵野秀明のこと何も知らない。エヴァのテレビ版とシン・ゴジラは見た。

・スタッフの制服がミナペルホネンでかわいい。

奈良美智の彫刻というのか、立体作品がなかなかよかった。木とトタン?の小屋の中に彫刻作品やドローイングが飾られている。覗き込むという動作を強いられる。

・青秀祐「Flammable Box」、巨大な四角い風船のようなものがほとんど部屋いっぱいに詰まっていて、真っ赤な地に白抜きで「火気厳禁」と書いてある。実際に可燃性のガスかなにかが入っているのだろうか?そのあたりはよくわからない。なんとなく気になってしばらく見た。

・通年展示のシャガールもよかった。バレエの舞台芸術に使用された巨大な絵。馬と歪んだ燭台。

 

・三代丸山遺跡まで歩く。縄文時遊館という博物館のようなものから遺跡に入れるようになっている。地層を模した外装がいい。

・バスの時間が近くて遺跡を早歩きで見て回り、展示のところは見られなかった。出土品とか見たかった……

・遺跡はなんだか無闇に気持ちのいいところ。緩やかな起伏の中にぽつぽつと再現された竪穴式住居や高床式住居や柱、遺跡を保護するドームが建っている。建物を縦に伸ばすのは大変だから穴を掘ってその上に建てるというのは理にかなっているな、と思う。雪が降ったらどうするんだろ。そのあたりも展示を見れば書いてあったかも。

 

・バスで新青森まで戻って弘前へ。バスが遅れてるな……まあギリいけるっしょ!と思ってバス停から駅まで走ったが、いけなかった。ICカードが使えないのを知らずに電車逃すの旅行初心者あるあるすぎる。次は40分後。ホテルのチェックイン時間をずらしてもらって、ぼんやり待つ。電話ができるなんて偉すぎるな、私……(電話に精神的な負荷を感じるタイプで、学生時代どうしてもかけないといけない電話はかけるまでに15分ほど気持ちを整える必要があったし本当に泣いていた。成長)

 

新青森駅にはリンゴジュースだけの自販機がある。

 

弘前駅から、弘前城近くの宿まで歩く。めちゃくちゃスナックがある。すごい。生きたスナックが何十軒もある。

・チェックインを「研修中」の札をつけた若い人がやってくれたのだが、隣のカウンターで「紹介された店に行ったが混んでいて門前払いされた」とクレームをつけはじめた人がいてお互いそっちに気を取られて話が進まなかった。がんばれ。

 

・「まわりみち文庫」へ。飲み屋と飲み屋の間にある。『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』(野村日魚子)を買う。古本の棚の『戦争で死ななかったお父さんのために』(つかこうへい)をめくったら「初級革命講座飛龍伝」が入っていたのでそれも買う。やったね。

 

・目をつけていたお店が満員だったので次に目についたお店に入ったら完全にバイブスが合わず、スン……とした顔で食べて出た。

・酒が飲めないと一人旅の夜ご飯はむずかしい、居酒屋というのは基本的に23人前が一皿で出てくるし。

 

・翌日、弘前さくら祭りを見て回る。ソメイヨシノの緑がすごくて、これは満開の時期はさぞきれいだろうとちょっと残念。しかしあちこちに八重桜が美しく咲いていて、広くて、気持ちがいい。なにより岩木山がすごくきれいだ。りんごのシャーベットを食べる。

・ステージの方に行くとなにかロックバンドが演奏している。ボーカルの女性がなんだか上手い。途中「オトナブルー」をやり、サビのところはちゃんと(?)バンドメンバーが歌い出したのがなんだか良かった。とうもろこしの天ぷらを食べる。

 

・藤田記念庭園からも岩木山がよく見える。水琴窟に耳を澄ませる。

・東屋に座って、ここでなくてもいい、ということを考えた。青森に行くのだと言うと、誰もが「へえ、何を見に行くの?」「何があるの?」と尋ねてきた。

・私は歴史にかなり疎くて、城はみんな同じに見える。庭園もみんな同じに見える。だからたぶん、ここにしかないもの、というのはない(私にとっては)。私にしかできないことというものがないように。

・しかし、私にしかできないことがなくても、私が毎日仕事や生活をしているというのと同じように、ここでしか見られないものがなくても、ここに来てよかったのだ。

・滝のそばの橋で、外国人観光客たちがはしゃぎながら写真を撮っている。

・喫茶室に入ろうとしたら28組待ちで諦める。タムラファームのアップルパイだけ買った。

 

弘前といえば洋館が有名らしい。旧弘前図書館に入る。赤と白の外観がとってもかわいい建物で、中に入ると黄色い天井とうす緑色の窓枠がおしゃれだ。こういう建物を見る時、自室にするならどこかなというのをいつも考えてしまう。「婦人閲覧室」と「普通閲覧室」が分けてありへえと思う。

・続けて隣の洋館にも入る。こういう古い建物の天井が低いのって、やっぱり昔の日本人の平均身長が低いからなんだろうか?

 

・その辺のベンチでタムラファームのアップルパイ。しっとりどっしり系で、スタンダードなアップルパイに求められているものがしっかりあって満足。高校生がきゃあきゃあはしゃぎながら通り過ぎる。

 

弘前れんが倉庫美術館へ。大巻伸嗣という知らない現代作家のインスタレーション展示をしている。これが……かなり……よかった。

・「sink」暗い部屋の天井に穴が空いていて、そこからやや大きめのシャボン玉が落ちてくる。シャボン玉の中は煙で満たされている。空中でまたは床に落ちて割れると、煙はふわっと広がり、ゆらぎながら拡散し、消える。その煙のかたちの一回性、再現性の無さ。煙が消え切ったところでまたひとつ落ちてくる。その繰り返し。ずっと見ていられるかもしれない。

・「Liminal Air Space-Time:事象の地平線」これも暗い、広い部屋に、薄くて透ける素材の巨大な布が広げられている。部屋の奥から風が吹いていて、布は何かの生き物のように、あるいは寄せては返す波のように、静かな幽霊のように、ゆっくりゆっくりたなびいている。私たちに手を伸ばしてくるようにも見える。しかしけっして触れることはなく落ちて下がっていく。また手を伸ばしてきては、触れられずに下がってゆく。光源はライトが二つだけで、布はそれを反射してゆらめきながら光っている。自然現象のようにも見えるが、常に流れている女性の声の歌詞のないコーラスがそれを裏切って、あくまで人間がしていることだということを示唆している(ような気がする)。吹き抜けになっていて二階からも見ることができる。そちらからだと波のようなひらめきのほうが印象として強く、「手を伸ばしてくる」のような擬人法を用いたことが遠くなり、現象として見ることができるようになる。

ミュージアムカフェの入り口に立って、あっこれはなんか、予感がする……と思ってぱっとみたら「エーファクトリー」と書いてあって「ほらね」と思いました。何が「ほらね」なのかよくわからんが。

 

弘前城に戻って荷物を取って駅へ。いいとこだなー弘前城。離れがたいような気持ちすらする。

・すれ違った親子の会話:「これをずーっと昔の人が作ったんだよ」「ずーっとむかし?」「ちょんまげしてるくらい昔の人」「えーっ!ちょんまげー!?」「ちょんまげ嫌い?」「はるかはねえ……ハートが好き❤️

 

・おすすめされていた「ボンジュール」のアップルパイを買ってから電車に乗って青森駅へ。あっこれ発車ベル? 郷土音楽を流してるやつかと思ったわ……

 

・夕食。昨日の反省を生かしてGoogleマップで何箇所か目星をつけたものの、10組待ち、満席、臨時休業、5組待ち、19時ラストオーダー、で惨敗。もうあとはさっき見かけた味噌カレー牛乳ラーメンしかねえ!と向かってる途中で見つけたお店に入る。なんていうか……おしゃれというか……気取った感じの……コンセプト重視の……地元とか愛してなさそうな……でもまあ貝焼き味噌を食べれたのでよし。ごはん味噌汁セットがあったのがありがたかったのでよし。

・一人で下戸の人間って本当に晩ごはんどうしたらいいんでしょうね?回転寿司かラーメン?定食屋、せめて20時までやっててくれ。

 

・夜に喫茶店に行くのが好き。しかし21時までやっている喫茶店は少なく、またやっていると書いてあってもバー営業のことが多い。結局駅ビルの中のスタバに入ってぼうっとする。

 

・部屋でカリオストロの城を見ながらボンジュールのアップルパイを食べる。うわーっおいしい……!パイが軽くてパリパリ、りんごも軽い印象でバランスがいい。タムラファームのとはかなり違う。これは美味しいな、おすすめも納得です。

 

・夜中に地震がある。ホテルの建物が古いせいか、揺れ止まないのではないかと思うほど長い。石川の地震のこと、観光地で不安そうにする人々のことを考える。

 

・翌朝。雨。朝食バイキングでパン・サラダ・スクランブルエッグ・ベーコン・ヨーグルトの完璧な盛り付けをして食べたあと味噌汁だけ持ってきて飲んだ。自由だから。

 

二度寝して、早めに青森魚菜センターへ。好きな具材を選んで海鮮丼を作れるというやつ。た、たのし〜〜〜〜〜。白身魚が好きなので白身魚ばっかりになり嬉しいけどめちゃバランス悪かった、どれかを抜いて卵焼き乗せればよかった。でかい海老とホタテも美味しかった。

・隣の女の子二人組がこれからの旅程の話をしているが、なんだかこれから弘前のりんご公園に行って奥入瀬渓流にも行って十和田市現代美術館に行って道の駅でご飯食べて新幹線で帰る……みたいな話をしている。それはけっこう無理なのでは……大丈夫か?とハラハラしながら聞き耳を立てているといややっぱり弘前はやめようという話になる。お姉さんもそれがいいと思うよ。逆だもん、弘前

 

・エーファクトリーで青森在住フォロワーと待ち合わせ。青森土産をもらい、東京土産を渡す。

・「なんで青森だったの?」と聞かれる。本当に全員それを聞いてくるな。地元のことって知らないよねー、という話をする。しかし青森・弘前はかなり観光地としてやっていく気概がありますよ。知名度とアクセスしやすさにあぐらをかいている横浜も見習った方がいい。

ジェラートを食べて近況など話して別れる。D&D、面白いらしい。セクシーパラディン。紅玉とミルクのジェラートがうまい。

 

・ねぶたの家ワ・ラッセへ。ねぶたのことを何も知らなかったのだが、実物を近くで見るとたしかに見事で面白かった。琉球の神話をモチーフにしたねぶたがすごくて、魚の一つ一つが踊るよう、見る角度によってさまざまな発見があり見飽きない。立体は立体で見ないといけないですね。ステージのお兄さんたちが盛り上げてくれる。

 

アスパムでアップルパイを買う。これは新幹線の中で食べる分。ストリートピアノで「幻想即興曲」を弾いてる人がいるがタッチが浅くて音がだいぶ飛んでる。

 

・海沿いを散歩したかったが、雨風がすごい上傘が折れてしまい断念。埠頭まで行ってみたかったな。

・なぜかは思い出せないが行きたいリストに入っていたカフェシュトラウスへ。ウィーン菓子のお店ということで、売り切れていたアップルシュトゥルーデルの代わりにザッハトルテを頼む。ケーキ単品で食べたらあらすごく甘いわねという感じなんだけど、甘くない生クリームたっぷりで食べるとめ〜〜〜〜っちゃうまい……なに? これ……め〜〜〜〜〜っちゃうまい……呆然としていると隣の席でも「おいしいね……」「おいしい……」「すごいおいしいわ……」しか言えなくなっている人がいる。ほんとね……

 

・街路樹がりんごの木で、白い花びらが雨風でどんどん散っていくのが美しかった。

・駅のお土産屋さんで味噌カレー牛乳ラーメンのインスタントを見かける。有名店だったのか。

 

・余裕を持って新青森へ。駅弁って初めて買ったかもしれない。

・新幹線の中、あきらかに革製品の匂いが充満してるんだけど、何?誰かなんか鞣した?

・新幹線のWi-Fiは全然役に立たなくてかわいいね。

 

・仙台を過ぎてしばらくしたころ、フォロワーから「六さんインターネットののすがた」の絵が送られてくる。何を言ってるのか分からないかもしれませんがほんとうなんです。

・いい絵だったので、え〜ありがとうございます、と返信しかけて火がつき、一時間弱でその絵から着想した1700字ほどのショートショートを書いて、大宮を過ぎたあたりで返信する。

 

・東京に着くなり、電車から降りるより先に乗ろうとする人、寝たふりをして隣の女性に寄りかかろうとする男、頭から浴びたんかくらい酒臭い酔っ払い、などに遭遇する。ふん。

 

 

・ここからは心残り。

 

・つばめ喫茶室:弘前のかわいい喫茶店。行動圏内からやや遠くて、タクシー使ってもいいけどもし満席だったらショックだな、と断念。かわい〜んですよ。

弘前公園植物園:歩き疲れて行けなかった。いいところらしい。弘前城天守閣と藤田記念庭園との3施設チケットを買ったので全部回りたかった。

弘前アップルパイマップみたいのをもらったのだが売り切れ等もあり結局二つ(プラス青森で一つ)しか食べられなかった。もっと行けたはずだ。

・かわいいシードルとかクラフトビールがいっぱいあった。酒が飲めればな。

・雨風が強くて青森の街はほぼ歩けなかった。もうちょっとウロウロしたかった。

・八戸にも行きたかった。八戸ブックセンターがいいらしい。

卵巣嚢胞手術その後のメモ

 退院から6週間が経ったので、その間のメモをアップロードする。

  前回と同じく、ここに記載したのはあくまで私個人のメモであり、正しさや普遍性を保証するものではないことを断っておく。病気に関する正しい情報は医師に相談してください。

○退院直後

 退院日は「こんなに痛いのに退院して大丈夫か?」と思ったし歩くのも辛かったが、「日増しに良くなる」という言葉のお手本のように痛みは減り体力も戻ってきた。退院2日後は10分ほどの散歩で精一杯だったが、一週間後には片道30分ほど歩いても大丈夫になった。2週間後には片道2時間のオフィスに出社もした(ただしかなり疲れた)。

 この間、傷・内臓の痛みもあったし一定の方向を向いてしか寝られないなどのトラブルもあったが、何より胃腸の調子が悪いのが辛かった。普段胃下垂気味なのだが、胃が上の方にせりあがっていて気持ちが悪いという感覚がずっとあり、怠くて動きたくない、食欲がない、と思っていた。痛み止めを常用していたせいだったのか、痛みがなくなるにつれ改善された。

 最後まで残ったのは息切れ。少し歩くと息が切れてしまい、無視して長時間歩いていると肺が痛くなる。体力が戻らないとはこのことか、と思った。これも2週間後ごろにはおおむね改善していたと思う。

○受診

 退院から3週間後に診察があった。内診でのエコーと傷の触診ののち、病理診断の結果を説明される。チョコレート嚢胞というやつだったら嫌だねという話をしていたのだが、水が溜まっているタイプのもので悪性の心配はなし。よかった。手術中の内臓の写真を見せられて、ふつうに興味深い。「これが子宮で、これが腸ですねー」「ほうほう」「この黒い点が子宮内膜症です」「はーこれが!」と合いの手を入れてしまう。取った嚢腫は8センチ。MRIでは10センチでしょうと言われていたし、同じ病気の人で20センチあったという話も聞いていたので、思ったより小さく感じるが、べつに小さくもないとのこと。

子宮内膜症があるので、これはもう薬を飲んで抑えたほうがいいです」とのことで子宮内膜症について説明を受ける。一応「生理痛は子宮内膜症由来なんでしょうか?つまり、卵巣嚢腫を取ったことでよくなるかというと……」と尋ねると「それはならないですねー」とのこと。がっかり。いろいろ調べる中で、卵巣嚢腫の症状の一つとして生理痛が挙げられていることがあったので、ちょっと期待していたんだけど。とはいえ手術後の生理が非常に辛く、「これ手術後だから?それともピルを飲んでないから? まあ後者だろうな……」と思っていたので覚悟はしていた。

○傷口

 臍から器具を入れるので、場合によって臍の形が変わるかもしれませんと言われていたが、結果的には変わらなかった。(たぶん。というのも、自分の臍の形を詳細に覚えているわけではないので)

 退院後は臍の中が内出血していた上なんとなく黒っぽい汚れのようなものがついていて触るのが怖かった。毎日風呂に入るうちに汚れは概ね取れたが、一ヶ月後くらいにふと触ってみたらかなり臭くてショック。オリーブオイルをつけた綿棒で優しく拭う。あまり深追いして傷口に対面するのが怖いので、まだ入り口のあたりしか拭えていない。

 臍以外の傷口もかさぶたが入れ替わり、かなり目立たなくなってきた。触るとでっぱっているのが分かるが、もう何回か皮膚が入れ替われば、少なくともぱっと見にはわからなくなるだろう。

○走れない人として

 痛くてよちよち歩き、ないしちょっと歩くと息切れするという状況の間、「いま走らないといけない事態になったら詰む……」という考えが何度か頭をよぎった。交通事故を目撃して手助けする必要が生じるとか、包丁を持って追いかけてくる人がいるとか、そういう事態になっても何もできない。見た目は普通なので「なんで助けないんだよ」「なんで逃げないんだよ」という感じにもなるだろう。

 幸いどんな異常事態も起こらなかったが、そういうふうに動けない人、しかもぱっと見動けないようには見えない人もいる、という当たり前のことを再確認した。障害がある人や体力のない人も身近にいるのに、自分がなってみる前まではこの危機感をきちんと持てていなかったなと情けなく思う。若くて健康な私は非常事態になったら動かねばならぬ。天災や事故に備えてイメトレもしなければならぬ。がんばるぞ。

○その他

・入院〜退院後動けない期間がちょうどクッキングパパの無料公開期間だったので300話くらい読んだ。疲れた。

・退院直後は体重が2キロ減っていたがすぐ1キロ戻った。そのあとは測っていない。嚢腫が1キロあったと信じて生きていこうと思う。

MRI、紹介状、術前術後の診察・検索、入院・手術、細々とした買い物、交通費、など諸々ひっくるめて負担額は8.5万くらいだったと思う。窓口負担は事前の申請で減らせることがある。「限度額認定証」とかで検索しよう。

卵巣嚢胞手術のメモ

 2020年11月に卵巣嚢胞と診断され、2021年2月に腹腔鏡手術で除去した。そのメモをアップロードしておく。

 なお、ここに記載したのはあくまで私個人のメモであり、正しさや普遍性を保証するものではないことを断っておく。病気に関する正しい情報は医師に相談してください。

○経過

 22際ごろから生理のたびに熱が出るようになり、子宮内膜症と診断されて低容量ピルが出た。それを5年ほど飲み続けていたが、ある日いつもどおり婦人科に行くと突然MRIを撮るように言われ、受けてみたら卵巣嚢胞が写っていた。10センチほどだという。まず間違いなく良性だろうが取ってみないとわからない、自然によくなることはない、と言われたので、手術を受けることにした。

○準備

 病院から必要と言われたものを買い揃える。

・T字帯:手術・出産用の下着。他人が脱ぎ着させやすいようになっている。病院の売店で買った。

・下着:臍と下腹部に傷ができるのでそこにかからないもの。無印で数枚買い足した。無印のコットンの下着はすごく着心地がよい。

・室内ばき:かかとがあるものにせよとのこと。ユニクロでふかふかのを買った。在宅勤務にもよい。

・シャンプー・リンス等:100均で詰め替え容器を買う。ゼリー飲料の袋を小さくしたような形のものが便利。キャンドゥで買った。ちなみに5日間の入院で手術前後で1回ずつシャワーを浴びられた。

・ペットボトルストロー:寝転がった状態でも水が飲めるようにするもの。しかし、持参した水のペットボトルと規格が合わずほぼ使えなかった。あらかじめつけてみるべき。

・パジャマ:2組持っていったが5日間のうち2日は手術着で過ごしたため1組でよかった。発熱するので薄手のものに羽織りものがあると調節できてよい。

・マスク:なるべくつけていてほしいとのこと。ベッドでは外しておき、看護師さんほか人が来たら付ける。

○手術前日

 暖かい日で、病院まで歩いてきたら汗だくになり体温チェックにひっかかる。水を飲み、外で涼んで、なんとかOK。同じようにチェックにひっかかっている人がもう一人いる。

 採血、CT、入院生活のオリエンテーション、下剤、麻酔医からの説明、薬剤師からの説明、臍をきれいにする、シャワー。夕方になって執刀医の先生が挨拶に来たが次々色んな人に会ったので一瞬誰か分からず、最後の5秒くらいで気づいて「よろしくお願いします」と頭をしっかり下げる。

 節分だったので夕食に太巻と炒り豆が出る。4人部屋だがほぼ完全にカーテンが閉まっておりほとんど顔を合わせない(短期入院だからなのかコロナ禍下だからなのかはよく分からない)。同室の人がいびきをかいていたので耳栓をして寝る。

○当日

 点滴というものを初めてする。以前献血で「すごくいい血管」と言われてから密かに自分の血管に自信を持っていたのだが、「あれ、すみません……右手で試していいですか……」とやり直しになりショック。

 12:30手術開始。「麻酔入りますよー」と言われると同時に意識を失う。14時半ごろに目を覚ました。家族に連絡したいのだが、恐ろしく眠く、腹の傷が痛く、身動きが取れない。18時ごろやっと看護師さんに声をかけて携帯を取ってもらうが、とにかく眠くて入力がままならない。変なスタンプを打ってしまう。眠たいのに痛みで眠りきれず、ずっとこのままなのか?という恐怖がある。消灯のころに少しだけ寝返りが打てるようになり、やっとまともに眠る。

○翌日〜退院

 翌朝はまだものすごく眠く、起きられない。母にラインで「めちゃくちゃ眠い」と言ったら「手負いの獣??」と返ってきてウケる。9時ごろ立ち上がらせてもらうが、本当に立つのでせいいっぱい。痛み止めを追加してもらったあと2度目のチャレンジで歩けるようになり、尿の管も抜ける(抜くの痛いかな?と思ったけどそこまでではなかった)。お昼頃から余裕が出てきて気軽に起き上がるが、か、肩が痛い!!腹より肩が!!「うぐううううっっ」と思わず声が出る痛さ。手術中腹にガス?を入れて?膨らませて?やるんだけどそれが抜ける時?に肩?が痛くなるらしい。よく分からない。熱も結構出ている。本を読み、病室備え付けのiPadを見て過ごす。先生がやってきて軽く説明を受ける。詳しくは退院後の診察の時に話すとのこと、病理診断がまだついていないためと思われる。

 翌々日にはシャワーも浴びられる。微妙な前傾姿勢でしか歩けないが、まあなんとかなる。臍ほかの傷口には透明なテープのようなものが貼ってありよく見えない。

 3日目に退院。テープを剥がしてもらい、「もうしっかりくっついてますよ!」と言われる。親に車で迎えに来てもらう。体力が落ちていて、着替えたり車に乗ったりするだけでかなり疲れてしまうが、傷の痛みや体の動かし方については明らかに回復しているのを感じる。

○予想と違ったこと

 当日に退院させるところもあると聞いていたのでだいぶ痛みをナメていたが、普通に痛い。内臓が痛いことってふだんあんまりないので新鮮な痛みという感じ。体重移動をするとゴポゴポ変な音がして内臓が移動するのがわかる……。ある方向を向くとかなり痛いので一定の体勢しか取れず、やや腰が痛かった。

 隣のベッドの人もおそらく同じ手術を受けていたのだが、「あんまり痛くないです」と言っていたのが聞こえたので、個人差が大きいのかも。私が痛みに弱いだけかもしれないが。

 ガスが抜ける時の胸〜肩の痛みも予告されていたのだが、「強めの肩こりのような痛み」と言われていたので「ふーん」くらいに思っていた。が、全然肩こりに似ていなかった。内側から筋肉を金槌でぶん殴られているような痛み。特定の体勢を取ると痛むのでそれを避けて変な動きになる。数日経ってようやく肩こりっぽい痛みに変化してきた。

 また、通常食に戻ってから胃の不調に悩まされた。もとから胃は悪いのだが、絶食後であることに加えて体力の低下により消化のパワーが落ちている。げっぷが出なくて苦しいという感じ。これは今もまだ少し継続しているが、まあそのうち良くなるだろう。

○反省やその他のメモ

・水を2本ほど買っておくとよかった。1本しかなかったので手術までに飲み終わってしまい、看護師さんに給茶器で汲んでもらうはめになった。

・冷蔵庫は貸してもらう必要はなかった。べつに冷たい水でなくてもよい。

・家族には手術終了後に病院から電話をしてもらえたが、他の人にはそうしてもらうわけにはいかない。恋人には「手術終わったら連絡するね」と言ってあったのになかなかスマホを手に取れず連絡が遅れて心配させてしまった。あんまり具体的な日時を伝えても心配させるだけなので、待たないように言っておけばよかった。

・一応仕事の用事を持っていったがまあできるはずもなかった。休むときは休むべき。

・痛み止めの点滴は我慢せず入れてもらうほうがよい。また、飲み薬をもらうとき「依存性とかはないので、我慢せずしっかり飲んでしっかり動いた方がいいです」と言われた。飲み過ぎを懸念して飲まなさすぎる人も多いのだと思われる。

・たまたまコロナ禍で在宅勤務ができる状態にあり幸運だった。明日から仕事復帰の予定だが、まだ体力が戻っておらず満員電車に乗れる気がしない。また会社の人も嫌な顔ひとつせず休ませてくれ、スケジュールを調整してくれたり何かと気遣ってくれたりして本当に助かった。こういう時に「すべてに感謝」とか言うのだろう。